「ライトはねえのか?ナオ」犬神はロープを手繰っていて、再度穴に下りる態勢である。手や顔は泥で汚れていて真っ黒だった。
「ねえんだ。ライトはネエ。あればハナから持ってきてる」辺見が答えた。
「ライターかマッチはよ?」
「それならある」辺見はポケットを探り、百円ライターを犬神に手渡した。
「今度は確認してあげるからよ」
犬神はロープの先端を辺見に握らせた。辺見はそれを再び体に巻き付けた。
「するとなにかい?サブ。こんなかにゃ、まだ死体があるっていうんかい?」
「そいつはわからねえ。けど、これだけでっかい穴だ。そう考えた方がいいかもしんねえぞ」
犬神が下り始めた。辺見は再度歯を食いしばり足を踏ん張った。
犬神が上がってきた。今度は少々時間がかかったようだ。普段から黒っぽい服を好んで着る男だから、汚れきった今は石炭で彫り上げた人形のようでもある。
「今度は間違いねえ。生きているのを縛ってきた」白い歯をのぞかせて彼はいった。
「するとヤッパリ、他にもいたんかい?」辺見が聞く。
「なんか、ゴチャゴチャしてた。ライターをつけようとしたがつかねえんだ。もの凄い匂いだったし、きっと酸素が少なかったからじゃねえかな?でも、手探りで探したからよ。見えなくたって、触りゃ、死んでるか生きてるかの区別ぐらいはつくはずだからな」
「・・・」辺見は黙った。
「そいつは生きてた。生温かったし心臓も動いていた」
犬神は自信ありげにそういったが、神経質な辺見は別のことを考えていた。
”何も暗い穴の中で生きていたって下田とは限らない。得体のしれない化け物でも引き上げてしまったらどうしよう”
しかし、それも上げてみないことにはわからない。こうなったらそうするしかないが、ロープを投げだして一目散に逃げ出したい気持ちもあった。
「何してる?ナオ。サッサと引っ張れよ」
犬神にいわれて辺見はロープを引いた。目をしっかりとじ動物のように唸っていた。そしてその目を恐る恐る開けた時、足元にはサファリジャケットを着た男が横たわっていた。追っていた男だった。
「このヤロウかい?」と犬神。
「アア、このヤロウだ」
辺見はホッとしていった。もっと厳つい男とのイメージがあったが、実際は女のように生チョロい男である。手を調べてみたが柔らかで指もスッとしている。厳しい仕事をしたことのないそれだった。
犬神も拍子抜けしていた。京極になにかと吹き込まれていたので、稲光を起こすようなもっと迫力のある男だと思っていた。これでは、電車の吊り皮にぶら下がっている男たちと何ら変わらない。時には、妄想にとち狂って盗んだパンティーを頭にカブリ、センズリをこく男どもと一緒である。犬神は笑い出した。冗談でいった自分の予測が当たって嬉しくなったのだ。
「なに笑ってんだよ?サブ」
辺見は女の死体を穴に落としロープの始末をしながら聞いた。
「いやなにね、京極はこいつが恐ろしい化け物だといったんだ。得体のしれないね。ところが、オレは女のパンティーを頭にかぶるただの変態だといいかえした。そしたらどうだ?オレのいうことがマッポシあたってた。京極のヤロウのハナを明かしてやれたってわけだ」
「そいつはどうだかな?」辺見はまとめたロープの輪っかを犬神に投げた。「今は寝てるんだ。コイツがどういう男だってことは、目を開けてからじゃネエとわからネエと思うがな。ま、どうでもいいことだけどよ」
辺見は下田英孝をカタにかついだ。
「運のいいヤロウだぜ。穴に落ちて死ぬところを助けられやがった」
そういって歩き出した。月の光に踏みしめる草が光っていた。
続く