由美の私物をスッカリ持ち去らねばならない。向井はコンビニの袋を用意していた。靴、ハンドバック、時計、携帯電話、指輪、ネックレスなどの装飾品。財布に化粧道具。大したモノはないはずである。それを全部、サイドボードから見つけて袋にたたき込んだ。おや、服がないと思っていると、何のことはない由美は私服でそのまま寝ていた。突然のことで、寝巻きを買う暇もなかったのだろう。あるいは、すぐに出れるのでその必要がないと思ったのかもしれない。好都合である。

 ふたりは油断なくキビキビ動いた。もちろん、病院に入った時から捜査用の手袋を嵌めている。由美の病室からカラオケボックスと同一の指紋が検出されたら疑念を持たれることになる。そうしたことに抜かりはない。彼らは手慣れた専門家だったから、万が一にもミスを犯すことはない。

 病室を出ることになった。

 今度は向井が先導する。京極は女を背負うのではなくて、花嫁を抱くように両手で抱えた。そうしていても一般人よりは早く動ける。鍛え抜いた体だった。

 向井が通路に出た。壁際をスルスルと動いていく。まるで映画に出てくる忍者のようだ。階段の所まで行くと振り向いて大きくうなずいた。異常なしの合図である。京極は病室を出、かかとで丁寧にドアを閉めた。前方に非常口の赤いランプが見えていた。

 

 その夜、下田英孝はどうしても寝つけなかった。寝床でゴロゴロ寝返りをうっているうちに頭痛が襲ってきた。ボンヤリとしたもので痛みというより重さというモノであろうか。脳みそが鉛になったみたいだ。もう少しすると、悪心から吐き気が湧いてくるのだろう。このごろ、頭の病気が過渡期に入ったと自分でも思う。以前はキリを揉み込むような激痛が断続的に続いたが、今ではそれは影を潜めている。時折そうなっても、こらえていれば痛みはいつの間にか分散してあとを引かない。決して、人を殺したくなるような耐えきれないモノではなくなった。といっても、病気が快方へ向かっているとは彼は思ってない。むしろ逆だ。自分の脳が腐ってきて、痛点までも溶かしてしまった考えていた。

 死はもちろん覚悟している。だが、その前に自分が人間以外の何かに変化するかもしれないと、このごろは思うようになった。

 昔、”ハエ男”という映画をテレビで見た。理由はともかく、人間がハエに変化するという恐怖映画である。最初は引っ掻いたような傷口からトゲのような剛毛が生えてきて、しまいには主人公が複眼で吸い口を持ったハエに変貌するという奇抜な作品だった。

 読んだことはないが、ある朝起きてみたら自分が甲虫になっていたという外国の小説もあるという。

 ”オレもそうなってしまうのだろうか?でも、ハエや甲虫ではあまりにも悲しい。もっとマシなモノになりたい”

 下田英孝は頭を押えながらはい起きた。

 少し離れた居間では母の松子が寝ている。下田はその布団にすがっていって、カーチャン助けてくれと大声で泣きたい心境だった。だがそうしたところでどうなるものではない。松子は土をいじくるしか知らないタダの年寄りである。早晩、そうしてきた土に帰ることになるだろう。浅ましいほど単純な人生である。母が死ぬまで自分が生きていてやりたいと折りにつけ思う。でも、それは不可能のようだ。存外、松子は矍鑠としているし、自分はヒビの入ったガラス玉のようにもろい存在だから。

 ”死ぬ時は母を殺してから死のう” 下田英孝はたった今そう決意した。

 

                           続く