京極は突然に動き出した。向井は「アッ」と声を出しそうになった。何かをいいたかったというより、もっとこうしてたたずんでいたかった。向井は運命というモノをヒシヒシと感じながら京極の後を追った。ともかくも、ふたりは建物の中に入った。ズーンと硬質ガラスの自動ドアが重たそうに閉まる音がふたりの聞いた最後の音になった。水の中にいるように静かだった。仄白い光りがアッチコッチで光っていた。ツルツルしたリノリウムの床は素足で触れば、ウッとくるほど冷たいだろうと向井は思った。それでも、京極が音を立てないために靴を脱いだら自分もそうしなくてはならない。だが、京極はそのままにしていた。

 通路は正面と左右、三方に別れていた。正面の奥に最も強い光がある。ナースステーションかもしてない。左側の奥は広い空間である。集会場のようにベンチシートがいくつも並んでいる。その手前に階段が見えた。6階だというのだから、ともかくも上に行かないといけない。向井は京極に続いた。ふたりともあまり靴音をたてない。いい調子で階段を飛び飛びして昇っていく。

 しばらくして、向井は京極の背中とぶつかった。どういうわけか京極が足を止めたのだった。向井はいぶかしげに京極の体越しに上の方を見上げた。ウワッと声を上げそうになった。後ろに転げ落ちそうになるのを、京極の服を掴んで必死にこらえる。

 気味の悪い女がポツンと踊り場の縁に突っ立っていた。坊主頭で豚を吞んだ大蛇のように胴体が太い。女だと感じたのは、ヒラヒラしたネグリジェを着てたからだ。こちらを見ているのかと危惧して、顔を注視したがその目はしっかり閉じられていた。ピクリとも動かずスースー息だけしている。

 京極が抜き足差し足で行動を開始したので向井も続いたが、いつの間にか右手は懐のリボルバーをしっかり掴んでいた。女がカッと目を見開いて襲ってきたら即座に射殺しなければならない。後がどうなろうとそこまでは我慢できない。また、我慢するいわれもない。人間として当然の義務だと向井は思っていた。

 女のすぐ側を通過することになった。女は思ったよりも大きく、膨れた肉の塊が寄せ集まったようにその場にたたずんでいた。なんともいえない異臭がする。向井は息をとめた。女の表情を見ると、目鼻口とそれぞれの穴から液体を垂れ流している。時々、気の利いた薬罐のようにピーという音も立てた。向井はもう恐ろしくはなかった。ただ、これほどの嫌悪感をいだいたことは生まれて初めてだったので、大急ぎで京極の跡を追った。

 京極がユックリと手を挙げて制止した。目的のフロアに到着したのだった。突如、京極がうずくまったので、向井はその頭越しにフロア全体を眺めることができた。寒々とした通路が一直線に奥へと続いている。天井や壁に、様々な色をした光りが弱々しく光っている。ここでは全てのものが閉じ込められ外に出ることなどできないのだった。ただ、一番暗い片隅に非常口と書かれた小さくて赤い看板が強い光りを放っているのを見つけて向井は安堵した。

 下りる時はどんな危険が待ち構えていても、そこから降りたい。今、昇ってきた階段を引き返すのは絶対に御免こうむる。あの女を2度と見たくない。そんな気分だったからだ。京極が身を動かして通路に歩み出た。その頃には目が慣れて、もっといろんな物が見えるようになっていた。

 

                           続く

 

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