軽傷で証言しそうな女は、矢代由美という名前で18になったばかりの少女だという。前もって救急センターに電話して入院した病室も聞き出してあった。605号室ということである。大部屋だということも確認していた。もうひとりの小田真弓という28歳になる女は、やはり意識不明の重体で集中治療室にいる。矢代由美は傷を治療すると帰りたがったそうだ。精密検査をするということで、無理矢理泊まらせたということであった。付き添いがいるかどうかはわからない。

 道々話してきたが、京極の計画は矢代由美をただ単に殺すということにとどまらない。完璧にこの世から抹殺するということにある。ということは、簡単にいえば死骸を残さないということだ。京極は連れ出して山に埋めるといった。そんなことが本当にできるかどうか向井にはわからない。

 彼女を殺すということだけなら案外とたやすい。死体を残すということをいとわなければ、彼女がどこにいても実現可能な気がする。しかし、彼女を人知れず連れ出し始末するということになれば話は別だ。現に、彼女は病院という人目の多い公共施設にいる。向井は彼女の退院を待とうと主張した。管理された場所からの誘拐は至難の業である。だが、京極に突っぱねられた。逆に今がチャンスだという。彼女は退院すれば、警察に見張られる公算が大である。それに極端なことをいえば、明日の朝一番に刑事が画家を連れて来訪してきて、犯人の似顔絵を作成する可能性だってあるというのだ。なるほど、そうなってしまえば後の祭りである。自分はともかく、京極は顔に特徴がありすぎる。言葉での説明ではわからなくても、似顔絵ができてしまえばどんな馬鹿でも彼と気づく。今がチャンスという言葉に向井は納得した。

 忍び込むのはともかくとして確保して逃げるというのが大変そうだ。京極は非常階段を使うという。病院やホテルには必ず着いているし、扉は中からだったら簡単に空くはずだともいった。それはそうだろう。非常階段の扉が開かなくては非常の時に役に立たない。そこから、女をひっかずいて逃げる。その時はさらに、仮死状態にしておく。暴れたりしないようにとのことだった。

 大丈夫うまくいく。人目にも立たない。京極は自信ありげにそういったが果たしてそうだろうか?矢代由美の病室は605号というのだから6階なのだろう。地上まではかなりの距離がある。先ほど偵察した様子では、非常階段は鉄製の簡素なモノのようだった。きっと降りていけば、カンコンカンコン大きな音がするだろう。果たしてそんな案配で、誰にも気づかれなくてすむのだろうか?

 向井は体の奥で疑念が風船のように大きく膨らんだ。

 最も大きな難関は、矢代由美が大部屋に収容されているということだろう。当然、他に患者も寝ているだろうし、付き添いがいるかもしれない。そんな状況を打破して女を連れ去ることは、どう考えても無理があるように向井には思えた。誰かに気づかれて大声を出されるか、ベット脇の小さなボタンを押されればそれでおしまいである。ナースステーションから夜勤の看護婦が飛んでくる。京極にそのことを聞いたら、「素早くやるんだ」の一言だった。

 

                           続く