真っ暗な所から、蛍のように白っぽい車が抜け出した。中には辺見直介と犬神三郎が乗っていた。

 空がこころなしか明るくなっていた。星が輝き月も顔を見せている。遠くに目をやると黒々とした山並みが続いている。道はどうせ山にぶつかる。パサパサに乾いた道だった。草も生えてない。未開の荒野のように、風雨に穿たれた歪な岩がなにか得体のしれない動物の骨のようにゴロゴロと転がっている。広大な原町の一部で垳と呼ばれる地域であった。もうもうとホコリを舞い上げながら、車はそこを突っ走った。ひとつの山が近づいてきた。

 稲戸岳は標高330メートル。登りやすそうな小山である。緑も多く水もほうぼうに湧くから、鳥や獣もたくさん生息している。だから、長い間に渡って人々に愛されてきた。今は、中腹にまで住居が這い上がっている。

 下田英孝はその麓に先祖代々の広大な敷地を所有し屋敷をかまえている。過去帳をひもとくと、始祖は下田甚之介という男になっている。約150年前の温明元年に没した。陸奥の戸張藩で勘定与力をしていた侍とある。後に罷免されこの地に流れ着いた。農業や林業などで財をなして、在所の総名主にもなっている。下田英孝はその7代目の末裔であった。

 下田家からそう離れてない登山道の入口には、縦25メートル横15メートルの四角い人造池が並行して二つ並んでいる。明治の頃設営された古いもので、ペンキのように濃縮した深緑の水をたたえている。山火事でも起きれば、消化水を供給することになるだろうが、一度としてその水は吸い上げられることなく今日に至った。

 大型の鯉やナマズがいるということで、住民に人気があり釣り糸を垂れる人が絶えなかったが、数年前、池に落ちた子供が死亡することもあって、今は近づくことを禁止され鉄条網で周りをグルリと囲まれてしまった。そのかわりに、池の側に公園ができて人々は憩いの場を得た。駐車場もついた広い公園だった。

 下田家の下見を終った辺見直介と犬神三郎は、その公園に来て水道の水を頭からかぶった。山道を歩いているとき、ヤブ蚊やブヨに攻め立てられて顔面がうっとうしかったし喉も渇いていた。ふたりはタオルを用意していた。頭と顔を拭った後で、同じようにそれを首に巻いた。

 「なんだろうね?アリャ」

 辺見直介が下田の家のことで首を捻っている。見たこともない光景に出くわしていた。登山道を5分ばかり登ると右へ入る脇道がある。古タイヤと材木を組み合わせた目印があるので、きっと下田家へ繋がる私道だろうと見当つけて歩いてみた。すると、行く手がボウッと明るくなっている。スワ、山火事かと驚いたがどうもそうではないようなのだ。炎と違い光り方が冷たい。無機質な感じがする。物音もしないし匂いもない。辺見と犬神は固唾を吞んで光りの方へと接近した。

 確かに屋敷はあった。目もくらむ光りの洪水の中で浮き上がっていた。庭がある。小学校の運動場より広い庭だ。その中に耕された畑がある。ビニールハウスがある。納屋や鶏小屋もあった。その間間に数十本の長い棒杭が打ちこまれて、その先端に無数の電線が張り巡らされている。電線には等間隔で実った瓜のように、大型の裸電球が垂れていた。

 「ヤロウは闇がこわいんだな」犬神三郎がボソリといった。

 

                           続く