ひとりは昏睡状態で死に瀕している。証人にはなりえない。もうひとりの口を塞げば自分たちは助かる。京極はそう考えたのだろう。単純なモノである。単純だが確実な方法ではある。

 「それしかないだろう。今夜中にかたづけちまおう」

 京極がいう。その側で、犬はガサゴソとまだ動いている。

 「今夜中にって、女はまだ病院ですよ」そういった時、向井は京極の考えに心の中で何となく賛同していた。

 日本警察の辛辣さは、当然、熟知している。警察官は45万人を数え、駐在所は全国津々浦々に2万5千箇所もある。短絡的に逃げ切るなどと、自暴自棄になってはいけない。

 「警察にいるよりマシだろ。行こうぜ。車をとってきてくれ」

 京極がいう。その時どういうわけか、犬がワンと吠えてハシハシとどこかへ走り去ってしまった。

 「車ってパトカーですか?」向井は迷って尋ねた。

 「いいや、君の車だ。早くしろ」京極が怒ったようにいったから、向井は野良犬の後を追うように駆けだした。

 たちまち、現場の側を通り過ぎる。そこにはまだ、2台の特殊車両が止まっていた。鑑識班は徹夜になるかもしれない。とんでもないことになったという思いはある。今まで、追う立場のものが追われる立場になった。悔いはあるが、失望はしないことに決めた。経験から犯罪の多くはこうして起こるモノとの実感があった。いきなり、穴ぼこに落ちるようなものである。

 また、人生という長い道程には穴ぼこがいくつも口を開けていると思っていた。運が悪ければそこに落ちる。だが、それで滅びるわけではない。這い上がることもできる。穴の中で朽ちるのも這い上がって再び陽の目を見るのも、自分次第だと向井は思う。

 ひとかどの人物と目される人間は、大概一度や二度は穴に落ちた経験があるのではないだろうか?その都度、這い上がってこそ他人を抑する人間になれる。そうに違いない。

 ”ぼくは負けない” 向井は誓った。幸い、パートナーにも恵まれた。京極進はずば抜けた頭脳を持っている。度胸もある。彼のこれまでの選択に失策はない。店にきた男たちをドアで跳ね飛ばして逃げたことが風穴を開けた。弱気になり、そのままジッとしていたら捕まって今頃は留置場の中だ。京極を信じて着いていこう。向井は走るスピードを上げた。

 腋の下に吊してある銃器が少し揺れる。京極の黒々とした陰茎がパッと頭に浮かんだ。淫猥な気持ちが湧いてきて胸を締付け呼吸が上がる。状況が恋愛を作るという。手に手を取って窮地を脱することができたら、自分は京極にどうしようもなく狂ってしまうのではないか?少し脅えもある。そうなったらそうなったでいい。そこには打ち震えるような悦びが待っているような気がした。

 京極に下僕か奴隷のように扱われて嬉々としてぬかずく自分。その兆候はすでに出ていると思われた。京極に怒鳴られてロケットのように発進してしまった。

 車はコンビニの駐車場に止めてある。長い夜になりそうだから、なにか食い物を買っていこう。向井真彦は走りながらそんなことを考えていた。京極に暖かいモノを持ってってやろう。

 

                         続く