鑑識班が大勢臨場している。階段と廊下に蜂の子のように溢れていた。別名、科学捜査班ともいう。以前は、職人気質のする無骨な集団だったが、この頃はスマートな精鋭チームという印象である。年も皆若い。
彼らは捜査の下ごしらえをする。彼らの出してくれた材料を元にして刑事は動く。いわば、彼らの働きによって捜査の骨格が決定する。刑事警察において最も重要な役割を彼らは担っているわけだ。
事件が発生したドンズまりの部屋までくると、強い光を放つ照明器の元で何人かの技手が床を這い回っていた。その中のひとりが田中翔だった。剣道が滅法強く、京極の好敵手である。不思議とウマが合う。
「タナカー」京極が小声で呼んで、入口からチョイチョイと手招きをする。
田中が立って近づいてきた。中肉中背で目鼻立ちのスッキリした好男子だった。濃紺のパリッとした制服がよく似合う。
「なんか出たかい?」京極が聞いた。
「指紋、多数。体毛、多数。血液、微量。ガム、数個。パリッとしたコンドーム、多数。あとは吸い殻2本と百円玉2個と五円玉が1個だ」田中が簡単にいう。元々、愛想のいい方ではない。
「もっと、重要なモノは?」
指紋以外の遺留品を残さなかったことは、向井との間で確認済みであるが京極は念のため聞いた。
「ないね」
「女の様子はどうだった?見たんだろう?」
「ひとりは、、、」
田中翔は親指を立てて首に当て、横にグルリと引いた。極めつけのポーズである。田中は数多くの事件現場に臨場して、被害者の状態をつぶさに観察してきている。彼の目に狂いはない。ひとりの女は死に瀕している。
京極は礼をいってその場を離れた。向井も静かに着いてくる。後悔と希望が入り混じったような妙な気分だった。殺人犯になるということは悲しかったが、ひとりの女の口をふせげそうだという事実は嬉しかった。彼は現場のビルを離れ、灯りのない暗い方へ暗い方へと向井を誘導していった。
建物と建物の間の奥まった路地裏にきた。ゴミ袋が山積してある。一匹の大きな犬がまるで倒立でもしているかのように、その中を必死に漁っている。
「どうすんです?」
向井真彦の気持ちは当然のこと暗かった。平成を装っていたが、担当の藤森が犯人の特徴を説明したときには心臓が飛び出しそうであった。色黒で長身のロン毛と色白で華奢なサングラスの2人組。
ゾッとするような指摘だ。露見は免れない思いがする。ガイシャのひとりは死にかけて口を聞けない状態だが、もうひとりは比較的しっかりしているという。2人組にもう一度会えば特定できるともいったそうだ。
藤森はモンタージュを作成するだろう。それに指紋もある。もちろん、前科前歴のない京極と向井のそれは当初は不特定多数の傍証として処理されるだろうが、疑念を持たれれば照合される。そうなれば一巻の終わりである。
”逃げよう”
向井の胸に黒々とした暗雲が立ちこめてどうしようもなくなった。こうなったら逃げて逃げて逃げまくる。それしかないように思われた。
「やるしかないな」突然、京極がボソリといった。その後、沈黙。
野良犬はまだ逆立ちしている。遠くでピーポピーポと緊急車両が、また一台走り去る音。
「女を殺すんですか?」
向井は京極の顔を見た。深刻な陰りはない。それどころか、ヒントを得た解答者のように一点にホッとしたような部分が見受けられた。証人を消す。大昔から犯罪を韜晦するために繰り返し繰り返し行われてきた手段である。それこそ漏れがない。
続く