額の血は水道で洗い落とせたが、ワイシャツの方は逆ににじんで広がってしまった。京極進はそれをくずかごに捨て、下着から直にジャケットをはおることにした。野性味タップリの彼には、おそらくしっくりとくるはずである。

 目立たないように行動し、向井とふたりある程度の距離から事件現場を眺める。パトカー2台と救急車が1台、ビルの入口に止まっている。救急車の方は回転灯をつけたままで発進する気配を見せていた。その周りに数人の人が行き交っている。

 京極と向井は目がいい。特に向井は飛び抜けた数値を誇っていた。

 「杉山さん来てますね」その向井がすぐにいった。

 同僚の杉山昭一がずんぐりした体をパトカーのボンネットにもたせかけている。いつものスエットスーツ姿である。そこに地下からの階段を上がって、ひとりの男が近づいていた。その顔を確認して向井はギョッとなった。一課の藤森幸夫だったからだ。

 「最悪です。藤森がいる。ヤッパリ女は死んだんだ」向井は呻いた。

 「そうとは限らない。殺しじゃなくても奴らは動く時がある」京極がいう。

 刑事課、強行犯捜査一係。いわゆる強盗、傷害、殺人、凶悪な犯罪を扱う警察で一番こわもての部署である。それに、機捜の杉山巡査部長も臨場している。すなわち、発生した事件が重大犯罪だと目された証拠である。殴られた女たちは死んではいなくても、深刻な傷を負ったことに間違いない。

 「藤森って奴は手強いンで?」向井は面識はあるが、その人となりや手腕を知らなかったので京極に聞いた。

 「たまげるような評判は聞かないな。でも一応、一係で捜査主任をやっているんだからそれなりだろう。ともかく、やっこさんはぼくらを捕まえるべくスタート台に立った。だけど今は、ぼくらが犯人だとは夢にも思ってないだろう。こうしてみると、ヤッパリ犯罪ってのは面白いな」京極は他人事のようにいってのけた。

 「なに、呑気なこといってるんですか?サア、夜も更けたし、これからどうするんです?やることなかったら、ぼくはもう家に帰って寝ますよ」

 「やることはある。ヤッパリ、こう遠くじゃわからない。君、行ってみてくれ」

 そういわれて、向井は又もやギョッとなり間髪を入れず喚きだした。

 「なに、いってんですか。現場に戻るのは愚の骨頂だって、さっき話したばかりですよ。ぼかあ、やですからね」

 「そう、深刻になるなよ」京極は口端に笑みを浮かべている。ただし、目が据わっているので、向井には気味が悪いだけだった。

 「君は現職の機捜の隊員なんだぞ。現場にいたってなんの不思議もない。むしろ、当たり前のことだ。現に、杉さんもああして臨場しているじゃないか」

 「冗談じゃない。コッチは女に顔を見られている。ノコノコ出てったらその場でワッパはめられる可能性だってある」

 「そんなことになるはずない。第一、女は口を聞ける状態じゃないんだ。それぐらいの手応えはあった」

 「知ったようなこといわないで下さいよ。そんなことわかるもんか。女がケロッとしてて、ぼくの方指さしたらどうすんです?後を追ってきた男たちだっている。アイツらだって証言する」

 向井は口泡を飛ばして抗弁した。どんなに大袈裟にしたって、ここは踏ん張りどころだと思っていた。京極に押し切られれば、奈落に突き落とされる。今は、その崖っぷちに立っているのだった。

 

                          続く