辺見と犬神が真っ暗な水田地帯の小道を這いだしてきたザリガニを踏み潰しながら車で疾走している頃、京極進と向井真彦はそこから10キロばかり離れた街中のカラオケボックスにいた。”リベルタ”は公文式の学習教室と不動産屋、あとは数軒のバーが入った3階建てのビルの地下で、入口には留置場のような頑丈な鉄の扉がうわっていた。もし階段の降り口に蹴飛ばしそうな小さな袖カンがなかったら、この下にまさかカラオケボックスがあるとは誰も思わない所である。

 縁のへこんだ階段を降り重い扉を開けると、前は本当に留置所だったのかと思えるほど中は殺風景でガランとしている。床も壁も黄土色をしたコンクリ製で妙にツルンとしているが、よく見るとひび割れが所々に走っていて相当の年季モノだということがわかる。料金所もサッパリとしたつくりで、そこにふたりの女がいなかったら、入るところを間違えたと思い引っ返すところである。

 カラオケ業界は、いっときのブームはとうに過ぎ去り、冷え切った冬の時代を迎えていた。生き残りをかけるというより、もはや投げやり気味の価格のダンピング競争が続いている。今では、歌い放題、一時間500円という所も出てきている。こうした低料金を見越して、本来の歌を歌うという目的を度外視して、プライバシーを守るための密談に利用するモノもかなり増えてきた。喫茶店やファミレスではどうしても他人の目が気になる。その点、カラオケボックスはドアを閉めれば完璧とはいかないまでも、それに近い密室性を保てる。だから、始めから性行為を目的として、入りこむモノもかなりな数に上っている。

 京極は選挙ポスターより大袈裟な料金表をジロジロ見回し、2時間1500円のコースを選択した。1時間なら1000円だが、1時間という時間は何をするにしても短すぎる気がしたからだ。

 一方、向井は京極が入店表に偽のサインをし金を払う間中、ふたりの女店員を熱心に観察していた。片方は非常に若く、小さくて餅のようにフックラとした娘だった。普通なら、男に強烈な警戒心を持つ年頃である。電信柱のような京極に怯えているようにも見える。もうひとりはその娘と背格好はだいたい似通っているが、約10年ほど男の手垢にまみれたなれの果てという印象であった。髪を金髪に染めぶ厚い化粧をしているが、中身が腐っているから嫌な口臭を吐く。そんな感じだった。

 その女がクチャクチャガムを噛みながら、長い廊下のドンづまりの部屋にふたりを案内した。どうやら、彼らの他に客はないようだった。通り過ぎたどの部屋にも灯りはなく、扉が開け放たれていた。女店員はふたりを部屋に入れると、一通りのシステムを紹介して去っていったが、照明をつけ忘れたのかと思うほど中は暗い。長いテーブルがまるで柩を置く霊安所のようである。

 ベンチシートに散らばっている歌詞本を押しやりながらふたりは並んで腰かけた。イカの匂いがプーンと漂ってくる。ここに案内されたカップルが歌そっちのけでおこなう行為は容易に想像できた。向井真彦はその場の雰囲気に飲まれてドギマギしていた。だが、京極に押されるまま逃げもせずジッとしている。

 「ぼくが訪ねた医者は普通の人だったですね」

 彼はサングラスを取り横を向いたままいった。京極はオーディオセットの平べったいスイッチを探し出しボタンを押し放った。その瞬間、液晶画面に白い光が走って大きな音が響いた。

 「へえ、そうかい」京極はいった。

 

                            続く