”海”にはパチンコの領分を越えた何かがあると小池太郎は指摘した。魚群の出現が悪魔的だというのだ。当たろうが外れようが長い目で見れば大差はない。結局はみたものを地獄に引きずり込むと彼はいう。馬鹿馬鹿しくはあるが、身につまされるところもある。金のありがたみを知り抜いた、いい大人たちをこうまでのめり込ませるのは、やはり魔力とよんだほうがいいのかもしれない。

 下田英孝は、遊戯台にへばりついている人たちの浅ましい姿を見るに着け、玉を弾く気が萎えていった。彼にはその人たちと違い、夢中になれるものが他にもあったからだ。今日はそのことに専念することにした。

 彼はゆっくりとレストルームに足を伸ばした。遊戯に疲れたものたちが、喉を潤したり体を休めたりできるいわば休憩室である。

 最近のパチンコ店は、特にこの部門に力を入れるようになった。既存の暗いイメージを払拭しようとの算段だろう。ちょっとしたホテル並みにソコソコの空間をとり、上質な椅子やテーブルを並べている。店員や掃除婦が常に巡回してきていて大抵はゴミひとつ落ちてない。綺麗なものである。

 彼は自販機でコーヒーを買って、全体が見渡せる位置に腰かけた。時計をみると1時になろうとしていた。ちょうど、客が入れ替わる時間にさしかかっている。朝からきたもので運を掴み損ねた連中は、持ち金を使い果たしてちょうどこのころ帰っていく。

 昨今のパチンコ台は貪欲な獣のようにタップリと餌を食ってからでないと、自分の蛇口を開けないことの方が多い。人気のある台であればあるほど、その性格は顕著である。だから、そこを狙ってわざわざ午後から店に入る連中も少なくない。ハイエナとはよくいったものだ。午前中に討ち死にした者たちの死肉を食らいにくる。

 小一時間もそうしていただろうか?下田英孝は気味の悪いほどの執拗さを発揮してソファーに座り続けた。彼は待っていた。以前から目をつけていた娘が、決まってこの時間帯に現われるからだ。胸に布の名札を着けているから小学生なのだろうが、体は中学生並みに大きい。寸胴だが胸や腰にタップリとした肉をつけている。裸にして丸めれば、よく弾むボールができそうなほど、それは柔らかな様子である。このように、みる者にとっては彼女は充分に肉欲の対象たりえるが、当人はやはり子供である。そのようないやらしい視線をまるで気にしない。平気で大股を開いて遊んでいる。

 下田は黄色いシミのついたパンツの上から、彼女が自分の局部をまさぐるのを何度となく目撃していた。まるで、自分を動かすメインスイッチがそこについているかのように、さりげなく触っては恥じらうようにニタニタ笑い出す。すでに、誰かに教えられているのかもしれないが、彼女が性の深淵のとば口に立っていることは事実のようだった。

 その都度、下田は自分が破裂するのをどうにか押えてきた。目を閉じ歯を食いしばって、彼女を押し倒すことから逃れたのだ。だから、彼女は常に股を開いたか格好で、下田の中に住み着くようになった。

 時が過ぎ、レストルームの中もだいぶ賑やかになった。だが、彼の狙いの娘はやってこない。彼はさらにもう30分粘った。それでもこない。これ以上粘れば妄想に押し潰されて頭が痛み出しそうだったので、彼は腰を上げた。念のため、もう一度、ホールを回ることにする。するとどうだ。”大海”のシマで小池太郎の姿を発見した。

 

                          続く