いつの間にか、国道のバイパスに出ていた。すれ違う対向車の中にパトカーが多く混じっている。自分が起こした事件がその大きな要因を作っているんだろう。その時、下田は己が思考が脇にそれていたことに気づいてはっとなった。今は失敗を悔いているときではない。生き延びる道をなんとか模索しなくてはならないからだ。

 これまでも、窮地に陥ったことがあった。頭の病気がそれほど進んでなかったとき、図に乗りすぎて殺してしまった時が最初だった。グッタリとしたゴムのような死体に、呆然自失となりひと月以上も車のトランクに入れて走り回っていた。

 あの時の苦悩に比べれば、今は随分と楽だった。あの時は助かりたい一心だった。今はそれがない。どうせ、病は進んでいる。そう長くは生きられない。死は覚悟している。だが、警察には捕まりたくなかった。限りある生だからこそ全うしたかった。やれるだけやってやれの根本精神のもと、病気が進むにつれて当たり前のように殺した。罪の意識は毛ほどにもなかった。死体は全部、自分の持山に埋めた。最初にそうしてうまくいったからだ。少女の失踪が新聞沙汰になったこともあるが、自分の所には一度として警察が訪ねてきたことはない。

 ところが、今度のは県知事の娘ときた。美加子が妹の日菜子に似ていたことが命取りになりそうだ。自分の愚かさを心底呪ったがやってしまったことはしかたがない。今は空き家に縄で縛って転がしてあるが、早々に埋めてしまった方が安全に決まっている。そうしようと何度も思うが、不思議とその気力が湧いてこない。ミイラになるまで、あの家に放っておいても大丈夫なような気がしてくる。コレも病気のせいだろう。

 

 下田英孝は”ゼウス”に入った。半年前、グランドオープンしたばかりのパチンコ店で郊外型のためか駐車場が軍事基地のように広い。つい二ヶ月程前まで、平日でもビッシリと車で溢れていたが昨今は目立って緩和されてきた。というか、店舗からの遠くのスペースはガラガラの状態である。彼はそのひとつに車を着けた。

 パチンコはもちろん好きだったが、足繁く通うにはもうひとつの理由がある。獲物を物色するためだった。閉じ込められた車の中で悶死する子供もいるくらいだ。パチンコ店に連れてこられる子供たちは、おしなべて育ちが下級で大事にされてない場合が多い。遊戯に夢中な保護者に放って置かれて寂しがっており、景品のチョコレートで簡単に手なずけることができる。そのようにして彼は、何人かさらい結局殺して埋めたが、大きな騒ぎにはなったことがない。おそらくは、厄介払いができたと喜んで、警察に届けなかった親たちがほとんどだったのだろう。

 彼は人混みを掻き分けながらユックリとホールを回った。やはり、海シリーズの客づきが一番のようである。出てもいる。床にドル箱が連なっていた。何台か空きもあるが、すぐさま餌に食いつくほど彼はバカではない。データ表示板や釘をじっくり見てから決めるつもりである。

 目にした一台に一台に魚群が走った。

 よく見かける土人のような大女が座っていたがあっけなく外れてしまった。彼女は特に見た目の印象が深いので記憶しているが、ドル箱を積み上げているのを見たことがない。台をバンバンたたいて悔しがる様は、滑稽でもあり哀れでもある。彼女は負けても負けてもパチンコが止められない口だ。その第一の理由は、他にやるべき重要なことがないためだろう。外れた魚群の回数を死んだ子の年を数えるようにして、仲間に自慢し吹聴している。

 

                         続く