下田英孝は車で、桑畑の畦道をノロノロと走っていた。頭が普通の状態の時に、今後の方針を定めておきたかった。自分の寿命が長くないことを彼は自覚している。最初はてんかんかと思っていた。血が濃いので彼の一族にはてんかん持ちや白痴、障害者が多い。中学を卒業すると同時に、結婚して家を出た、たったひとりの妹の日菜子も魯鈍な方だった。だから、彼は体の調子が悪くとも医者を避けた。行けば、病気を治しもせずに死刑宣告をしてくると今でも思い込んでいる。

 もちろん、彼は世間の傍輩と同様に生きることの意味など知らなかったから、死ぬまでにやりたいことをやってやれというような刹那的な考えにすぐに共鳴した。それでも、途端に死んでもいいとは絶対に思わなかった。逆に、どうしても生きたいと願うようになった。というと、死を目前にしたものが、恐怖に身悶えするところを思い浮かべるかもしれないが、彼は違った。なぜかというと、死ぬことを怖がってなかった。繰り返し死を意識することで死に馴れてきていた。簡単にいえば、死ぬことは恐くないがもっと生きたいという到底理解しえないような心境に、彼はなっていったのである。生きていくにはどうしても頭を使わなければならない。たとえそれが病んでいたとしてもだ。彼は、痛くなるのを覚悟で思考の淵に沈んでいった。

 美加子が県知事の娘だったということは大失態だった。通学路で偶然見かけて以来、ずっと付け狙っていたがタダの土地成金の娘だとばかり思っていた。彼らの多くは、ただ、先祖伝来の土地を持っていたというだけで莫大な財産を築くに至った。だが、本質は地下足袋履いて鍬や鋤で田畑を耕す農夫である。本来、権力を示せるとしたら飼っている家畜に餌をやるときぐらいである。大体が能無しといって差し支えない。それが、県知事ときた。確かめた時、背筋は冷えたがやってしまったことは仕方がない。捕まる確率は、ぐんと跳ね上がったが知事の娘だろうが百姓の娘だろうが罪に大小はない。開き直ることにした。

 では、肝心の警察の動きはどうだろうか?ねじり鉢巻きで追っているのだろうが、証拠を残さなかったことには自信がある。手紙を送ったときもちゃんと手袋をしていた。犯行においても、何度もロケハンを繰り返して決行したので、目撃者を作らなかった。こうした状況下で自分が容疑者として浮かび上がることなどあり得ない気がした。

 無論、自分には前科もない。少しだけ警察に厄介をかけたのは、小学生の頃、近所に巣くう野良猫を殺して歩いた時ぐらいである。そのおりも、保護者が頭を下げてすぐに帰された。

 実は前の年、学校で飼っていた兎を鎌で皆殺しにした。その時はバレなかった。だから、行動が大胆になっていた。的を狙うのに、当時流行していたボウガンを使った。当てる自信はあったのだが猫はすばしっこい。放たれた矢は、民家の玄関の戸を突き破り居間まで届いた。だから、その家の住人が怒って警察に通報した。

 その時、指紋を採られた記憶がある。指の腹が真っ黒になった。係官に悪いことをすれば、これを引っ張り出すぞと脅された覚えもある。もう。30年以上も前のことだが、あの指紋カードは本当に引っ張り出され自分を苦しめるのだろうか?そんなことはないような気がする。これまでもなかったからだ。

 もちろん、人間である以上悪事は人並みにしてきた。だが、それは誰でもやるようなありふれたことだった。うまくやってきたつもりである。長い間、慎重に世渡りしてきた。こんな病気にならなければ、何年か先、民生委員をやることになったかもしれないんだ。

 

                           続く