犬神三郎は名前とは大違いで、ド外れた方向音痴であった。ひとつに道を覚えるのに、繰り返し10回はその道を通らないと覚えられない。横浜を目指して出発したのに、着いたところは群馬の館林だったという信じられない逸話もある。だから、免許証は持っていても運転は滅多にしない。今も、自分がどこにいるか不安だった。市境を越えたのは明らかだと思った。もしかしたら、東京に入ったかもしれない。こうなれば、何が起こっても辺見の側を離れるべきではないと彼は決意していた。

 

 車が大きな通りに出た。中央分離帯を取り払えば、飛行機の滑走路に使えそうなほど、幅の広い整備された道路だった。両側に街路樹が遠くまで続いていた。車が止まり、辺見が顎をしゃくったので犬神も続いて降りた。

 「煙突が見えるだろ。アリャー、火葬場なんだよ」

 辺見が虚空を指さしていった。なるほど、その方角の樹の上に、鋭く尖ったものが突き出ている。

 「火葬場って死んだ人間を焼くところだな?」犬神が肩をすくめながら聞いた。

 「当たり前だろ。生きてる人間を焼くかよ」辺見は大声を出した。

 「どなんなよ。チョイと確認しただけだろ。おれは一度も行ったことはないが、中はどうなってる?やっぱ、殺風景でムショみたいなものなんかい?」

 「さあてね。だだっ広い建物なんで中に入るどころか、おれは入口がどこにあるかも知らないんだ。ただ、いつもこうして煙突を見上げてるだけだよ。あの下に火葬場があるぞってね」

 「すると、おまえはあんなかにおれを案内したいわけじゃないんだな?」

 「よせやい、夜中に火葬場だなんてそんな薄気味の悪いこと、おれにはとってもできないね。ただ、ここにきた以上、火葬場のことをいわないと罪なような気がしてな。そういったまでだ。さあ、コッチだ」辺見は歩き出した。

 舗道から路地に入るとすぐに、コンクリートの高い塀があり、2階建ての標準的な簡易アパートが何棟か建っていた。辺見が手慣れた様子で、表の潜り戸を抜けそのうちの一棟に近づき壁面の階段を昇っていく。犬神もブラブラと従った。

 静まり返っている。

 灯りのともった部屋もあったが物音はしない。奥の角部屋の前に立った。辺見がドアのチャイムを押す。ピンポン。意外に大きな音がした。だが、中の反応はない。照明もついた様子がない。ピンポン、ピンポン、ピンポン、、、。ムチャクチャに辺見がチャイムを押し出した。だけど、変化はない。そのままだった。部屋の住人は留守か、居留守を使ってるか、死んでるかだと犬神は思った。とても寝ているとは考えられない。

 業を煮やしたのか、辺見はドアを蹴り始めた。凄まじい勢いで、アパートをまるごと蹴倒すかのようだった。事実、地震の時のように壁も床も震えていた。1発、2発、3発、、、。怒号と共に辺見の攻撃は容赦なく続く。もう1発、食らったらドアが吹き飛ぶと犬神がおもった時、カチャリと鍵のあく音がしてドアが薄く開いた。

 「だれだ、このヤロウ!」中から唸り声が響いた。

 その瞬間、辺見は全力でドアを引っ張った。ドアは開け放たれ、半裸の男が勢いに引っ張られる格好で外に転がり出た。背中に入れ墨のある若い男だった。

 

                        続く