その後、ふたりは京極の安アパートで数回行った性行為を皮切りに、別れるまで、星の数ほど無数に関係を結んだが、濃密な恋人同士というわけではなかった。

 意識が空回りしていた。一方通行と言ってもいい。結局は京極が冷たすぎた。多枝は京極を愛し抜いていたが、京極は彼女を都合のいい女としか見ていなかった。だから、浮気もしばしばだった。だが、多枝は決して京極をあきらめなかった。どんな窮地におちいっても、京極を支配しようと必死になって闘った。だから、彼らの愛憎の軌跡は激烈な闘争の形をなぞる。

 その間に、多枝は3度も掻爬した。瘡蓋の上から切りつけ合うような不毛の戦いは延々と続き、ふたりを消耗させたが、驚いたことに成長もさせていた。下を向くことの多かった田舎娘は峻烈な精神を持つ女医に孵化したし、偏屈な青年は道を踏み外すことなく、法の執行官になった。でも、その成長の中身が、光を浴びて天にすっと伸びる葦のような真っ直ぐなものだったかというと、多いに疑問の残るところではある。

 吉川春夫という仏文科の青年がふたりの間に割って入った。自分を壊しながら生きているガラス細工のような青年だった。青年で死ぬべき青年であったと考えてもいい。

 その青年と京極がホモ行為に走った。同性との本格的な交渉は、京極にとっても始めてだったので、最初は妙に優しくして、吉川を夢中にさせたが、馴れるとすぐに横暴さが顔を出した。吉川は多枝と同じように、動物的に扱われた。不幸なことに、彼には多枝のような逞しさはなかった。その時点で半死半生の状態であった。そこへ、事実を知った多枝の容赦のない攻撃が加えられた。吉川春夫はあっけなく、高層ビルから飛び降りて自殺した。

 そのことを知ると京極は激怒した。徹頭徹尾打ち叩いて、多枝をアパートの二階の窓から放り出した。多枝は足首を折って入院した。退院しても、大学へは戻らなかった。休学して郷里に帰った。それが、ふたりの別れだった。

 

 京極は車に乗り込むと、やっと手に入れた捜査当局の容疑者リストをパラパラとめくった。かなりぶ厚いものだったのでそうしたのだが、自分のリストの5人の名前はすぐに見つかるだろうと思っていた。ところが、ない。ひとりとして載ってない。彼はもう一度、目を皿のようにして探したが、やはり、ひとりとして発見できなかった。フウとため息をつく。どういうことだとの驚きはあるが、格別、落胆はない。逆にムラムラと闘志が湧いてきた。

 車をすっ飛ばした。日光街道から環七を経由して、北本通りを飛鳥山に向かう。

 上坂多枝は池袋西口近くでクリニックを開業している。場所柄、ビルの中だろうと見当をつけた。前もって電話することも考えたが、個人クリニックだと聞いていたので、多枝が直接でるかもしれない。それが憚られた。京極には不意打ちを食らわせて、彼女の反応を見たいという希望があったのだ。

 六ッ叉から陸橋を渡って西口ロータリーに出た。サッパリしている。目抜き通りをまっすぐ行く。山手通りの少し手前の道路脇にそのビルは建っていた。隣は葬儀場だった。今、式が執り行われているのか、黒塗りの高級車がズラリと道の両側を塞いでいて、駐車スペースを見つけるのに苦労した。

 3階建ての瀟洒なビルである。

 京極は最上階に”上坂クリニック”の看板を確認すると、中に入りユックリと階段を上っていった。

 

                         続く