では、犯人が美加子ちゃんを県知事の娘だと承知していたかというと、どうだろう?都合のいい解釈かもしれないが、知らなかったと京極は思う。それは、美加子ちゃんを執拗に付け狙ったのだから、住所ぐらいはしっていただろう。豪勢な家に住む、富裕な家庭の娘だとは思っていたが、まさか父親が県知事をしているとは知らなかったのではあるまいか?犯人がその事実を知ったのは、浚った後、美加子ちゃん自身の口からだと彼は推測する。そうして、そのことが”赤い月”を送りつける素因になった、、、。

 一にも二にも、この事件は”赤い月”に集約されている。血を塗りたくった一枚の紙切れの存在が、事件を緊張と韜晦の縁へ追いやった。被害者側にすれば、誘拐の容赦のない物証となる。犯人の残虐で強固な意志を感じて震えあがってしまう。はんにんは脅迫に成功した。だから、煥発をいれず要求がなされてしかるべきである。ところが、それっきり犯人は沈黙してしまった。”赤い月”が届いて丸三日、なんの動きもみせない。電話もこないし、次の脅迫文もつかない。家族や捜査陣が混乱するのも無理はない。要求がなされないのなら”赤い月”の意味がないからだ。

 あげくは、政治的意味あいの怨恨説が浮上してきた。父親の佐藤義則には的も多い。動機は全て彼にあるというわけである。犯人はもともと、金などに執着はない。佐藤義則を打ちのめすことだけが目的だったと考えれば辻褄は合う。

 全員が”赤い月”に振り回されている。

 京極進の双眸は暗い。

 

 FBIの行動科学課は性格異常の犯罪者を秩序型と無秩序型に分類している。前者は精神構造においても、比較的正常で、事柄の判断もつき、見た目もごく普通で、生産的な仕事を持ち、家族や友人に囲まれて生活している。結局は、何かの理由で犯罪を犯すわけであるが、その過程においても、あらかじめ計画しておいたことを実行に移すという場合がほとんどである。罪への意識も鮮明で、どうすれば罪を免れるかと、常に自身をコントロールしている。

 ところが、後者においてはすでに、精神に中程度の障害をきたしていて、烙印を押された挙げ句、社会的には疎外されたものが圧倒的に多い。対面を気にしないから、いつも薄汚れていて、なにをしても長続きしない。だから、いつまでたっても独立できず、家族か施設に養われている。もちろん、そうしたものと付き合おうというものもいないから、きまって孤独である。

 独自の理由から、おぞましい犯罪を引き起こした時でも、計画性のカケラもない、行き当たりばったりの暴発的な行為がほとんどである。ここで注意しなければならないのは、そうしたことがわれわれにはそう見えるということなのだ。彼らは人間の胴体に山羊の首をのっけるようなことを平気でするが、それは彼らにとって、特別変わったことではない。大それたことをしたという意識がないので、比較的簡単に逮捕される。

 彼らは、自分を捕まえた司法官に、真顔で”なぜ、そうしちゃいけないんだ?”と決まって聞くがこちらが彼らを理解しえないように、彼らもこちらを理解しえない。どこまでいっても平行線で、とどのつまり法で裁くということが不可能になってくる。だから、生け捕られた彼らのほとんどは、自殺する場合を除いて、世界中のどこかの病院で余生を全うするか、回復したと見なされて、解き放たれているのだ。

 

                        続く