「コリャーうまい。イノシシといっても豚の親戚だからナア。イノブタというくらいだから」

 当麻千代吉が大声で言った。彼は旧池中組の代貸で長く池中の右腕として働いている。先祖の代からの肉体労働者で、痩せてはいるがゴツゴツした筋肉をまとった格闘家のような肉体をしている。性格もカラッとしていて、物事を突き詰めることはしない。感情的に処理することが多いタイプである。マア、土方という人種はほとんどがそうではあるが。

 「千代、二杯も三杯も食らうんじゃねぞ。作るほうだって予定があんだからよ」側に座っていた池中が言った。

 「わかってますよ。昨日今日の駆け出しじゃあるまいし。オレの体はご飯一杯で充分。そういうふうに作ってある」

 と千代吉がいうと、「そのかわり、酒は浴びるほど飲むけどな」と誰かが囃す。場に大笑いが起きた。

 私は旧池中組をジッと観察した。現実として会社は崩壊した。だが、みんなの表情に陰りは見えない。元々、肉体労働者にそれ程繊細な者はいないと言えばそれまでだが、長いこと勤めてきた会社がなくなるということは重大事である。陽気な様は見かけだけであろうか。それとも、元々、池中組にそれ程の愛着がなかったかもしれない。私は思う。自分も学校を出てから通常の会社勤めは経験がない。だから、会社というものがどういうものであるか本当のところはわからない。土方は一人一人が個人事業主というようなCMを何かでチラッと見た覚えがある。とすれば、身分は私と同じようなものではないか?土方の腕と経験があれば、どこに行っても飯が食える。そういう考えがみんなの根底にある。私もそうだ。

 自前の腕と度胸でここまで生きてきた。良くいえば自由人、悪くいえば根無し草である。結局、私は彼らと同じ種類の人間なんだ。私は次第に彼らを気に入ってきた。たとえ今の工事が終っても、池中組は解体させない。大道組としていつまでも残す。私は、そう兄に懇願することをたった今決意した。彼らを食わすための仕事は、私が取ってくる。

 私は昼ご飯を食べ終わって、タカに声をかけた。

 会長としてあと二ヵ所の飯場を見聞する仕事が残っている。外に出ると、利奈が暮らしていた小屋を覗こうか迷ったが、未練だと思ってヤメにした。何か不測の事態が起きれば助けたらいい。今は自由にさせておこう。そのことを再度確認して、シュービーにタカと乗り込んだ。きっと、見守ってるからな。おまえもな。

 「前川と啓太、うまくやってっかな?」タカが心配そうに言った。今出てきた所は土方も組も自前えだが、あとの二つは違う。よその会社と組が入っているのだ。

 「大丈夫だろ。三井がバックアップしている。うまくやってくれるサ」私は言った。

 「オメエは二言目には三井三井と奉ってるが、あんなもんにそんな力があるとはオレは思ってないね。なんだつうのよ、アレが」

 タカは吐き捨てた。

 タカ。私は飛び上がるほど嬉しかった。三井への対抗意識はどんな時も消えない。遠い日、小学校の砂場でみんなと遊んでるとき、私はずっと思っていた寺田陽子という子に告白した。ところがその子は「私、みっちゃんのほうが好き」と言ったのだ。それが、私と三井の始まりだった。人間が素晴らしい生き物だということを教えてくれたのも彼だった。鏡のように、自分で自分を見つめることを教えてくれたのも彼だった。正直、私は彼を憎んでもいるし、愛してもいる。彼も全く同じだと思う。

 涼と二人で苦労して連れ帰った甲斐があった。元々、それもあってタカは私に肩入れしてくれているかもしれないが、酒飲みという共通項もあるし、敬子と利奈を共有していたという過去もある。一番の腹心と言える男だった。だいたいからして、タカがこの土地に私を導かなければ、なにも起こらなかったはずではないか。 

 「タカ!」私は突如叫んだ。

 「なんだ?」タカが大声で返事した。

 「いや、なんでもない」私は答えた。

 「なんじゃ、ソリャー」タカは素っ頓狂な声を発した。

 

                       続く