今日は水曜日なので、今週の日曜日の礼拝メッセージを載せさせていただきます。
受難節第3主日は、イエスさまに称賛されたひとりの女性のことを思い巡らしまいた。
「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちでもっとも大いなるものは、愛である」(コリント人への第一の手紙13章13節)
私たちの教会の年間聖句です。
2024年3月3日のメッセージ
「全世界に伝えられる女性がしたこと」
聖書:マルコによる福音書14章1~9節
(一部だけ載せます)
1 さて、過越と除酵との祭の二日前になった。祭司長たちや律法学者たちは、策略をもってイエスを捕えたうえ、なんとかして殺そうと計っていた。
3 イエスがベタニヤで、重い皮膚病人シモンの家にいて、食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
8 この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。
9 よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
いよいよ、イエスさまが十字架にかけられる日が近づいてきました。今日から4回にわたって、緊張感高まる最後の一週間の出来事を辿ってみたいと思います。
今日は、その中でもイエスさまもちょっとほっとされた暖かい出来事、麗しい出来事です。
イエスさまは、この女性のした事が全世界に伝えられると称賛されました。
何がそんなにすばらしいことだったのか、このでき事をイエスさまがどのように受け止められたのかを思い巡らしたいと思います。
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*マルコ14:4.5
4 すると、ある人々が憤って互に言った、「なんのために香油をこんなにむだにするのか。5 この香油を三百デナリ以上にでも売って、貧しい人たちに施すことができたのに」。そして女をきびしくとがめた。
ナルドの香油は、1年分の賃金-300万円ほどーにもあたる大変高価なものです。大切なお客様をもてなす時に使われました。しかし、「注ぎかける」ほど用いられることはありませんでした。
マタイ福音書では、ある人々とは弟子たちです。またヨハネ福音書では、これはお金をごまかしていてイエスさまを裏切った弟子のひとりユダだと言います。
彼女は、そこに居合わせた人から厳しくとがめられました。
「なんのために香油をこんなにむだにするのか。」
これが弟子の言葉だとしたら、自分たちの先生に対してなんとケチ臭いことでしょうか。
これは、頭弟子のペテロがイエスさまを「キリスト(メシヤ/油注がれた救い主)」だと告白した後の話です。
イエスさまが弟子たちにご自分の受難を告げても、まさか王となるはずの自分たちの救い主が殺されることはあるまいと思っていました。それでペテロが叱責されています。
しかし弟子たちは、この時はまだイエスさまがユダヤの国を立派に建て直してくれる「この世の王」になられるとしか思っていませんでした。
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*マルコ14:6.7
6するとイエスは言われた、「するままにさせておきなさい。なぜ女を困らせるのか。わたしによい事をしてくれたのだ。
7 貧しい人たちはいつもあなたがたと一緒にいるから、したいときにはいつでも、よい事をしてやれる。しかし、わたしはあなたがたといつも一緒にいるわけではない。
イエスさまがおっしゃる「よい事」とは何でしょう?弟子たちが「施し」をすることは、神さまの教え(申命記15:11)である「よい事」です。
けれども、この時のイエスさまにとっての「よい事」は、イエスさまが「いつまでも一緒にいるわけではない」―つまり、イエスさまが死んでくださること―を知ることから出る行いです。
*マルコ14:8.9
8 この女はできる限りの事をしたのだ。すなわち、わたしのからだに油を注いで、あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。
ナルドの香油は、大切なお客様をもてなすときに使われましたが、また死体を葬る時にも使われました。
おそらく彼女は、ただイエスさまに最高の敬意と感謝と愛をもって最高のおもてなしとしてイエスさまに香油を注いだのでしょう。
しかし、イエスさまはそれをご自分の葬りの準備として受け止めてくださったのです。
9 よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
イエスさまが、これほどまでこの女性のことを称賛されるのは、ただ「高価な物を惜しみなく捧げた」という理由だけではないと思います。
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少しもどって、マルコだけが伝えている言葉に注目してみたいと思います。
*マルコ15:3
…食卓についておられたとき、ひとりの女が、非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。
他の福音書より短いマルコ福音書ですが、なぜか他の福音書にはない「石膏のつぼを壊した」という出来事を伝えています。
このつぼは、アラバスター(石膏)と呼ばれる細首の瓶で香料などの保存用に使われた容器だそうです。
白くて滑らかな肌と細い頸をもち、か弱い女性を連想させるつぼです。
イエスさまの目にはこの女性が高価な香油を注いだだけではなく、自分自身を壊してイエスさまに捧げたと映ったのではないでしょうか。
脆く壊れやすい「器」(マタイ12:10/イザヤ42:3参照)に「命」という宝を入れた人間が、自分の全てを捧げてイエスさまに従う姿を思い起こさせます。
イエスさまがお一人で覚悟して死に向かわれるとき、この女性のした事がどれほど慰めになったことでしょう。
女性や子供は数にも数えられなかった時代に、この女性のことが書き残されているというのは素晴らしいことだと思います。
「この女はできる限りの事をしたのだ」
イエスさまの死によって罪ゆるさた私たちも、それぞれのできる限りの愛のわざをイエスさまにお捧げしたいと思います。
【黙想・祈り】
神さま。今なおこの世の罪のために苦しまれるイエスさまの苦しみを、私たちも少しでも和らげることができますように。私たちに、イエスさまに自分を捧げることの恵みと祝福を豊かに味合わせてください。イエスさまのみ名によって祈ります。アーメン。
![ハート](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/149.png)
昨日の朝の礼拝堂の十字架です。
イエスさまの御体であるパンを置く
聖餐卓の上に光が放たれているように
見えました
スマホの光が反射しただけなのですが…