新年早々、大きな地震がありました。なくなられた方もおられます。
被害に遭われた方に、心からお見舞い申しあげます。
命が助かりますように。早く、暖かくて安全なところで生活できますように。
ご遺族になぐさめがありますように。
だけど、ほぼ日本中が揺れたのですね…びっくりしました。
兵庫の西宮でも揺れました。あの、阪神淡路大震災を思い出しました…地震はいやです。
昨日は、元旦礼拝でした。詩篇27篇のみ言葉をよみました。
「災いを恐れない」心構えを教えられました。
今日は、元旦礼拝のメッセージを載せたと思います。
聖書 詩篇27:1~14(抜粋)
1 主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。
4 わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしきを見、その宮で尋ねきわめることを。
5 それは主が悩みの日(災いの日)に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、その幕屋の奥にわたしを隠し、岩の上にわたしを高く置かれるからである。
8 あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。
元旦礼拝のメッセージ
「わが顔をたずね求めよ」
今日は元旦です。多くの人が初詣に行き、「災い」が及ばないように「無病息災」「家内安全」を願ってお参りをしていることでしょう。
けれども、私たちには、平和な日常が突然崩れてしまうような出来事が起こります。
1月になると、あの阪神淡路大震災を思い出します。地震だけでなく、自然災害、病気、事故、失業…生きているといろいろなことが起こります。
お賽銭をいっぱいしたから、それから逃れられるという「保障」は誰にもありません。
でも、それを心配してもどうにもなりません。「災い」を避けることよりも、その時どうしたらいいのか知っていることのほうが大切だと思います。
たとえ「災い」が及んだとしても、逃れ場、自分の「命」が守られるぜったいに安全な場所、そして憩える場所をもっている人は幸いです。
7 主よ、わたしが声をあげて呼ばわるとき、聞いて、わたしをあわれみ、わたしに答えてください。
8 あなたは仰せられました、「わが顔をたずね求めよ」と。
全能の神様には、できないことは何一つありません。
この神さまを心から頼って、「神さま」と呼べばいいのです。
イエスさまは、この神さまの力によって、嵐や荒れた海も静められました。また、死人をもよみがえらせました。
あなたにむかって、わたしの心は言います、「主よ、わたしはみ顔をたずね求めます」と。
今年が、どのような年になるのか全く予測できません。世の中の動きを見ていると、不安に思うことがたくさんあります。
けれども、心配はしていません。神さまはおっしゃいます。「わが顔をたずね求めよ」と。困った時の神頼みでもいいのです。
神さまは、私たちがどのように過ごしているか、困っていないか、いじめられていないか、つらくないかご覧になっていて、そんなときはいつでも手だすけしようと顧みていてくださいます。
すると、心に平安が訪れます。
10 たとい父母がわたしを捨てても、主がわたしを迎えられるでしょう。
13わたしは信じます、生ける者の地でわたしは主の恵みを見ることを。
14主を待ち望め、強く、かつ雄々しくあれ。主を待ち望め。
新しい年は、「クリスマス」から始まります。救い主は、この詩を歌ったダビデの子孫から生まれると預言されていました。
イエスさまは、そのダビデの子である救い主です。ご自分が人々の罪の身代わりとなって十字架につけられるという人生最大の「災い」の時でさえも、「主である父なる神さま」に信頼していました。
そして、復活されて、最大の「災い」である「死」にさえも勝利されたのです。
私たちもこのイエスさまに倣って、神さまを信頼して、神さまの優しく暖かなまなざしを感じながら、安んじて新しい年を歩んで生きたいと思います。
【黙想・祈り】
父なる神さま。どうか、この新しい年もイエスさまと共に、あなたの愛のまなざしの中で歩ませてください。それぞれに必要ものを与え、危険から守り、喜びをもってあなたから頂いている命を精一杯生きることができますように。
イエスさまの御名によって祈ります。アーメン。
新年早々の地震、ほんとうにびっくりです。不安や心配な出来事が起こっても、神さまのお守りを信じて、おそれずに落ち着いて生きていきたいと思います。
心がいつも平安でありますように!
屋上から眺めた「初日の出」です
主が共にいてくださり
良い一年でありますように
「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも
わざわいを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。」
(詩篇23篇4節)