急に寒くなったせいか、9月になってから咲き始めた「こぼれ種」の朝顔が咲き終わったようです。
毎朝、健気に咲く姿を見るのが楽しみでした。
10月1日に朝顔の記事を書いていました
寒露の日(10月8日)。朝顔は、お昼頃にはもう寝る準備を始めていました。
この日、たまたまHKさんの2016年の「寒露の日」のブログを拝見しました。
*HKさん:ブログに四季折々の美しいお散歩写真や示唆に富む記事を書いておられました。4年半前に血液がんでなくなられました。
HKさんのブログです
http://hakaihisan.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/2016-d5c4
ブログの中で、三好達治さんの詩が紹介されていました。
詩人、三好達治の詩に、「かよわい花」という詩があります。
~♪かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がおは昼にはしぼんでしまいます
・・・・
みんな短い命です
けれども時間を守ります
そうしてさっさと帰ります
どこかへ帰ってしまいます ♪~
古来、日本人は、儚さやうつろいゆくものの中に美を見出してきました。
三好さんは、与えられたかけがえのない命を精一杯生き、時間が来ればさっさと帰っていくという、命に対する近代的な捉え方をユーモラスに提示しているようですね。
HKさんは淡々と、「命に対する近代的な捉え方をユーモラスに提示している」とおっしゃいます。
「みんな短い命です
けれども時間を守ります
そうしてさっさと帰ります
どこかへ帰ってしまいます」
だけど、なんだか切ないなあ…
「天(あめ)が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり…」(伝道の書3章1.2節)
寒露の日の翌日は、朝顔はひとつも咲いていませんでした。
そして次の日、ひとつだけ、なんだか恥ずかしそうに咲いていました。
上の方には、「さっさと帰った」朝顔の置き土産が…
だけど次の日も、またその次の日も、朝顔は咲いていませんでした。
ひとつくらい、どこかに咲いていないかと探しましたが…これで、おしまいみたいです。
ガッカリしていたら、ノラのみいちゃんと目が合いました。
「みいちゃん、朝顔さんがどこに行ったか知ってる?」
それから屋上に行ったら、太陽が心地よかったです。もしかして‥みいちゃんのいうとおりかも…
「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には、すまいがたくさんある。
あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
そして、行って、場所の用意ができたならが、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。(ヨハネによる福音書14章1~3節)
「お国」のために命を捧げることが尊いと教えられていた時代…
この詩は、三好さんのアイロニーなのかな…?
詩の鑑賞力がないのでわかりませんが。
かよわい花…かよわい人間…
時が来て、サッサと帰れるかどうかわかりませんが、イエスさまがちゃんと帰る場所を用意してくださるのですから、それだけは安心しています
かよわい花 (全文)
三好達治 1944年
かよわい花です
もろげな花です
はかない花の命です
朝さく花の朝がほは
昼にはしぼんでしまひます
昼さく花の昼がほは
夕方しぼんでしまひます
夕方にさく夕がほは
朝にはしぼんでしまひます
みんな短い命です
けれども時間を守ります
さうしてさつさと帰ります
どこかへ帰つてしまひます
「昼顔」と「夕顔」は、
お月さまが迎えにくるのかもしれません…
-追記 am6:55-
4日ぶりに朝顔がふたつ咲いていました
ちっちゃい朝顔です
明日は主の日。礼拝の日です。
私たちに命を与え、
お守りくださる神さまを礼拝します。
10月15日(日)の礼拝
午前10時30分より
聖書:マルコによる福音書6章14~29節
メッセージ:「バプテスマのヨハネの生涯」