3年前の今日、初めてカルメル会の女子修道院の朝のミサに出席しました。ミサは朝6時半からです。
でも、その前にシスターたちの祈りの時間があります。6時前から沈黙の祈り…それから皆で「聖務日課」による祈り…
それは、ひさしぶりに味わった聖なる時間でした。
かつて、うちの教会でも金曜日だけでしたが朝6時から「早天祈祷会」をしていました。
その頃は自宅から通っていたので、4時半に起きて、5時台の始発の電車に乗って教会に行きました。
でも、参加者がいなくなり、いつの間にか早天祈祷会はなくなりました。朝の祈祷会は、とても清々しかったのですが…
もともと朝が弱い私は、また朝寝坊の生活に…
それまでにも、友人のMさんがカルメル会の朝のミサに誘ってくださっていたのですが、私には「ムリ~」と思っていました。
それが、なぜかふと「行ってみたい!」と思ったのです。
ケンさんがなくなって、2週間目のときでした。
*ケンさん:胆管がんで4カ月半の闘病ののちなくなった夫です。
その修道院までは、自転車で約30分かかります。5時に起きて、5時半に教会を出発します。
寒くて真っ暗な道を自転車を走らせて…
自分の教会で祈ればいいのに…
寒い礼拝堂でひとりで祈るのは、やっぱり淋しいし…
それもあるけど…なんで行こうと思ったのかな?自分でもわかりません。
修道院の御堂には、十字架のイエスさまと幼いイエスさまを抱いたヨセフ父さんとマリアさんがおられます。
古い木造の御堂で沈黙し、十字架のイエスさまを仰ぎながら座っていると…
なんともいえない安らぎがありました。
それからコロナ禍が始まって…4月の復活日を最後に、外部の者は行くことができなくなりました…
ほんの5カ月(4カ月半)間、日曜日を除く毎朝の修道院での祈りの時間は、ひとりになった私の新たな生活を基礎づけるものとなりました。
追記:「4カ月半」ケンさんの闘病期間とおんなじだ~。あまり意味はないと思いますが…
今年も、喪中はがきが届きました。
「喪」とは、「人の死後、その親族が一定期間、世を避けて家に籠り、身を慎むこと」だそうです。(広辞苑)
夫がなくなったあとですから、日本の社会通念でいえば私は「喪中」でした。(クリスチャンなので喪中はありません。年賀状も出しました)
でも、肉体の死は永遠の命の始まりであることを知っているので、そんなことを考えもせずに、新しいことを始められたことに、あらためて神さまの導きを思います。
ひとりになっても、ちゃんと生きていけるようにとの天からのはからい…そんな気がしています
修道院にお祈りに行けなくなってから、ブログを始めました。コロナ禍で、教会の皆とも会えなくなったからです。
朝の時間が、ブログを書く時間になりました。でも、いつもあの祈りの時間のことを思い出します。
しょーもないことを書きながら、神さまの大きな愛に包まれていることを思い出します。
「主はわたしの光、わたしの救いだ、わたしはだれを恐れよう。
主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」(詩篇27:1節)
死を滅ぼしてくださったイエスさまとともに、これからも新しいことに挑戦していきたいと思います
教会の玄関のリースです。
夜やまだ暗い早朝に灯りがあるとホッとします
夜明けの太陽です
修道院から帰る頃はすっかり明るくなって、
心まで明るくなりました