水曜日なので、今日は日曜日の礼拝メッセージの要旨を載せます。
神さまの言葉が、皆さんの心に届きますように。
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2021.2.21の礼拝
聖書:創世記2章3章1~24節(口語訳)
(一部だけ載せます)
8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。9 主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。
11 神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。12 人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。
メッセージタイトル
「愛の亀裂を覆う衣」
「善悪を知って愛を失った人間に」
アダムは、神さまから「取って食べてならない」と禁じられていた「善悪を知る木の実」を、妻から差し出されるままに食べてしまいました。情けないアダムですが、これが人間の姿です。
「あなたはどこにいるのか」。神さまは、ご自分を避けて身を隠したアダムを探し求めます。アダムを造られた神の切なる思いと呼びかけ。神さまの声にこたえたアダムの言葉は、妻と神さまにも責任を転嫁するような自己保身と自己正当化の言葉でした。
神さまが思いを込めて造られたアダムですが、手に入れた「知恵」によって神さまとの愛の関係に自ら亀裂を作ってしまいました。人間は、「知恵」と引き換えに神から受けた「完全な愛」を失ったのです。おそらく、「一体」である妻との間にも亀裂が生じたでしょう。しかし、神さまからの愛は断ち切られていません。
やがて二人が「エデンの園」から追放される時、神さまは二人に皮の衣を着せてくださいました。それは愛の亀裂を包む衣、裸の恥を覆うために動物を犠牲にして造られた「愛の衣」です。
神さまが私たちに着せてくださった「皮の衣」…それが「イエスさま」という「愛の衣」なのではないでしょうか。
【黙想・祈り】
父なる神様。禁じられていた知恵を手にしてあなたの命と完全な愛を失い、死んだように生きていた私たちを見捨てずにお守りくださったことを感謝します。
イエスさまによって、あなたとの愛を回復させてくださったことを感謝します。どうか、他の方との関係をもあなたの愛によって導いてください。
イエスさまのみ名によって祈ります。 アーメン。
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おまけです。
受難節が始まり、神さまと人間との関係を改めて考えています。
今回は「創世記3章」を読みました。「キリストによる救い」の始まりとなる出来事が記されています。
内容が盛だくさんですが、二つのことを思いめぐらしました。
1.いきさつはどうあれ、アダムは神さまに禁じられていた「善悪を知る木の実」を食べてしまったこと。
「あ~、アダムって情けない。」すんません
なぜアダムは妻から勧められるままに、禁じられた木の実を取って食べたのか、聖書は何も記していませんし、その理由や原因を詮索しても意味はありません。
聖書は、ただこれが最初の人間の姿だとして描いています。「わかっているのに、してしまう」。人間の罪の現実から出発しているのだと思います。
2.神さまは、ご自分に背いた人間への愛をご自分からは断ち切らなかったこと。
「あ~。神さまってなんてやさしいお方!」
アダム夫妻を「エデンの園」に置いておくことができなくなった神さまは、いちじくの葉っぱを身に着けただけのみずぼらしい二人に「皮の衣」を作ってくださいました。
神さまが大切にお造りになった動物を殺して、皮をなめして…(毛皮のままかな?ヒョウ柄とか?)
神さまは、どれほどアダムを愛しておられたのだろう。本当に情けないヤツなのに…
これから二人は、苦労して生きて行きます。二人の間の愛にも亀裂が入っていたでしょう。
「アダム、なんで神さまの言葉をちゃんと伝えてくれなかったのよ!なんで私のせいにしたの!」
私だったらプンプン、怒りまくります
だけど、やらなければならないことはやらず、やってはいけないことをついしてしまう…自分でもわかっているのに…
私もアダムと同じだ~と思いました。
神さまとの間にも、人間同士の間にも愛にヒビが入ってしまった私たちを包むために、神さまはイエスさまを「皮の衣」としてお送りくださったのだと改めて思いました。
イエスさまの衣に包まれて、神さまの愛に恥じないように生きたいと思いました。
小さなお花が一つ咲きました。名前?忘れました。紫いろのお花でした。レントだから悔い改めて、感謝して…私のかわりに咲いたのかな?