今、片付けをしています。
周りにあるものを見まわして、手伝ってくれる人に「これはどうします?」「何に使うんですか?」と聞かれそうなものを先にリストアップ。聞かれた時の答えも準備しています。
「箱」…お菓子の箱、靴の箱、そうめんの木の箱、宅急便の段ボールまでいろいろ。
→中に何か入れるんです。(箱だもん)
「空きびん」…ジャムなどが入っていたびん。大小さまざま。形や蓋もいろいろ。
→残ったおかず入れにするんです。
「空き缶」…おかしの缶、海苔の缶、紅茶の缶。
→おやつ入れにするんです。
「リボン」…空き缶にいっぱいたまったリボン。
→誰かに何かプレゼントするときに使うんです。
「かまぼこ板」…なぜか30枚以上もたまっている。
→家を建てるんです!…とは言えないな。
手伝ってくれる人のあきれた顔を思い浮かべながら、自分でも笑ってしまいました。
私の周りには使わずにしまっているものが多いのです。それらは「無駄」とか「ゴミ」とか呼ばれても仕方ありません。
「愛着」のあるものは残し、「執着」するものは捨てようと考えました。
枯れた蓮の葉。小さな池をつくってる。HKさんの写真。
「わたしは主、あなたの神。…わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し…」(イザヤ43:4)
私は思いました。ああ、人間でよかった。人間には「無駄な人」は一人もいないから。そうでなかったら、私は真っ先に捨てられる。
でも、「ゴミ」も役に立つことがあるのよね~。たま~に。忘れていた頃に。ダイヤモンドだって岩石から出た炭素の「ゴミ」だ!かなりの居直り。
かまぼことピタッと寄り添って過ごした「かまぼこ板」は、なかなか捨て難いです。(執着?)
「ゴミ」が生きるのではないかと思って、ハッシュタグをいっぱいつけました。神さま、良い知恵をお与えください。