日本における医学の歴史(その8)

 


養生訓、巻三(飲食について)
 

近年、健康長寿やアンチエイジングと題する書籍が多く出版されています。

 

養生とは、現代的な解釈は健康法という意味です。

 

貝原益軒が江戸時代に模索したこの題材は、古今東西においても多くの哲人達が模索してきた人間における最大の課題と考えることができます。

 

特に、この「養生訓」は、益軒が人生において体験した「自分自身の穏やかな老いへの歩みの記録」であり、健康を模索しながら試行した実践的な鍛錬の解説書でもあります。
 

今回は食事と健康について益軒が著した「飲食」についての内容を現代科学の成果を交えて述べてみたいと思います。
 

 

さて、巻三「飲食」の中には「珍しいものや、おいしいものに出あっても八、九分でやめるのがよい。腹いっぱい食べるにはあとで禍がある。しばらくのあいだ欲をがまんすればあとで禍がない。」との一節が書かれています。

 

これは、彼が教示した「腹八分目」の考え方の裏付けとなるものです。
 

益軒は飲食の仕方について「五味偏勝とは一味を多く食い過ごすを云う、・・・・五味をそなへて、少しづつ食えば病生ぜず」と述べています。

つまり、1つの食物にこだわり偏食すると脾・胃に害を生じてしまうので五味を備えているものを少しずつ万面なく食べることが身体にとって有用であると教示しています。
 

 

 また、「凡ての食、淡薄なる物を好むべし、肥濃油膩(ひのうゆに)のもの多く食ふべからず」は、動物性の脂っぽい肉や塩気の多いものを好んで食べることは身体を害すると戒めています、
 

以上のように益軒は、巻三の中において 飲食は特に生命を養うために不可欠だと述べています。

その飲食の在り方は身体内部の消化を調整することが極めて大切であるとして、控えめな飲食が長寿を全うする大きな要因となることを教示しています。
 

現代は飽食の時代と言われていますが、過食は健康を損ね肥満や糖尿病、高脂血症になる確率が増加することは現代科学が証明するところです。

 

その化学の進歩は、分子および遺伝子レベルで肥満と長寿、アンチエイジングの関係性についてごく一部だと思いますが解明されつつあります。
 

例えば、1996年に大阪大学医学部の松澤祐次教授のクループによって発見された「アデイポネクチン」が代表的な成果です。

 

つまり、脂肪組織は余剰のエネルギーを備蓄する機能を持つだけでなく、アディポネクチンなどの様々な生理活性物質を分泌していますが、この物質が筋肉、肝臓、血管などの臓器に作用し、インスリンの働きを増強して糖代謝や脂質代謝を活性化するというメタボリックシンドロームに関与した重要な生理活性物質の一つと考えられ、抗動脈硬化作用、抗糖尿病作用を有することが解ってきています。
 

 

もう1つの成果はマサチューセッツ工科大学のレオナルド・ガレンテのグループが1999年に発見したサーチュイン遺伝子です。

 

これは長寿遺伝子または長生き遺伝子、抗老化遺伝子とも呼ばれ、この遺伝子が活性化されることにより生物の寿命が延びるとされています。サーチュイン遺伝子の活性化によって合成されるタンパク質(サーチュイン)はヒストンとDNAの結合に作用し、遺伝的な調節を行うことで寿命を延ばすと考えられています。

 

そして、サーチュイン遺伝子は高カロリー食マウスを使った実験で確認されたため、この遺伝子も肥満と寿命との関連性を強く示唆することになりました。
 

なお、アデイポネクチンを生体内で増加することのできる食品は納豆、豆腐などの大豆食品、イワシ、サンマなどの青魚、食物繊維の多い野菜、海藻類などがあります。

 

このことから考えると益軒が教示した動物性の肉類ばかりを食するのではなく、大豆をはじめ野菜、魚類、海藻類をバランス良く食することの重要性が認識されるのではないかと思います。

 

また、サーチュイン遺伝子を活性化するものとしては、赤ワインに多く含まれるレスベラトール、ビタミンEを多く含むアーモンドなどのナッツ類、漢方薬では六君子湯(りっくんしとう)が報告されています。
 

 

 最後に、益軒は食事ができることへの感謝の言葉を紹介します。

 

それは、「食する時、五思あり、一には、此の食の来る所を思いやるべし・・・」の一節です。

五思の

1つ目は、誰が食をくれたのかと考えることが大切です。

2つ目は、この食事は農夫が苦労して作ったこと、その苦しみを忘れないことです。

3つ目は、才能のない自分が苦労もしていないのに、この食事ができることは幸いであることを感じ取らなければいけない。

4つ目は、世の中には貧乏で糠や糟を食べている人、飢え死にしている人がいるにもかかわらず、自分は美味しいものを食べることができることに感謝しなければならない。

5つ目は、五穀がない大昔を思うことが大事で、生産者の努力によって白いご飯や、吸物、副食を胃腸を損ねることなく、朝夕じゅうぶんに食べ、そのうえ酒を飲むことができ快く楽しみ気血を補えることを感謝したい、と教授する益軒の思想が理解できるのではないかと思います。

 

参考文献
1.    岡部 正、「100歳まで現役―アデイポネクチン長寿法」、実業之日本社、(2013)
2.    今井眞一郎、「長寿遺伝子が寿命を延ばすーNHK・サイエンスZERO」取材班、NHK出版(2011)
3.    松田道雄、「養生訓―貝原益軒」、中央公論新社(1977)