【風の果て】
(撮影 : 萬山天鬼)

(↑ちょしゃきんえい😣)

当ブログの著者で城太郎ブログの編集長のノア・フローレス・ハラダです。

以前からの読者の人はお判りの事だと思うんですけど初めて当ブログを見た方もいると思いますので説明させていただきます。

萬山天鬼の写真ブログの構成は本編に入る前のツカミの部分のペシャリが長文ですので長文読解力(いわゆるリテラシー)の無い方はペシャリの部分を飛ばして本編から見てください。

当ブログはアフィリエイトだか何だか知りませんけど端金(はしたがね)の収入目当てのブログではありませんから万人向けの内容でも無いですし教育崩壊世代で長文読解力が無い人とか1般教養的に少しアレな人を対象にしてませんので長文なんです。

「類は友を呼ぶ」ではありませんけどそう言う国語力が無い人はそう言うレベルの『てにをは』すら定かではなくて筋道が立たない意味不明な文章で「〜な訳で」などと書いて「だからどうした」と言う結論を書かないような訳が判らない文章を書いている人たちが居ますからその人たちのブログを読めば良い訳です。

読者の詳細情報と言う物があって城太郎ブログの読者の年齢層を見ましたら教育崩壊の令和生まれの20代の人は1人だけでした。

ですから長文読解力が無い人には当ブログは退屈でしょうからもっとアホなブログと言ったらアレですけど感覚的な文体のブログを読んでください。

それでは本編の前のペシャリの部分に入ります↓
拝啓、皆さまこんばんは

我が同胞(はらから)の日本の皆さま方に於かれましては如何お過ごしでせうか?

国家(あるいは政権)と国民の関係と言う物を考えますと国家(あるいは政権)は国民の民草から税(👉年貢米)と言う物を徴収してそのお金を運用して様々な公共事業をしたりインフラの整備などを行なう訳です。

民草から徴収した年貢米から俸給を警察官に払って警察組織を作って治安を維持する訳です。

『人を殺してはいけません』とか『合意が無い性行為(👉強姦)をしてはいけません』などの決まり事(👉法律)は大多数の善良な市民の民草は従う事に吝(やぶさ)かでは無いですから問題は無いんですけどセクシーなマーグラな女性を見て(1発やりたいなあ、行きたい)と頭の中で思うだけなら問題が無いんですけども(やりたい)と思ったら即実行でもナンパして口説いてテルホに誘うなどと言う合法的な手順を踏む人の場合は問題無いですけど暴力の威嚇に拠って強制性交をして女性の膣の中に生(ナマ)で射精してしまうような無法者を取り締まる為に国家権力及び警察組織が必要な訳です。

ポーノグラフィを取り締まって売春を禁止して民間人が胴元の博奕を違法とする御法度(ごはっと👉法律)に賛成では無い人も居るはずなんですけど前科者に成るのが嫌な人たちは従う訳です。

日清日露の戦役があった明治の日本は大日本帝國でしたから徴兵制度があったので政治形態的には民主主義国家では無かった訳ですけど当時の政権中枢の政治家も陸海軍の上層部も国家と国民の事を必死に考えていた人たちで誠心(まことごころ)を持った人たちだった訳です。

司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』に描かれていますけども当時の日本の為政者と言うか上の人たちには誠心があった訳です。

↑元蔵相の井上準之助に自切りを掛けて誅殺した茨城県血盟團の菱沼五郎先生です。
(Sauce : 毎日新聞社)

井上準之助蔵相と三井財閥の團琢磨が血盟團の人たちに討たれましたけど大正から昭和に入ると悪徳財閥と金権腐敗政治家が結託して私服を肥やして原敬内閣のように政治家連中は数々の疑獄事件を起こしながら民百姓衆に対しては強権政治を行なった訳です。

昭和恐慌の時に民草の国民たちが1家自殺したり東北の農村では泣いて娘を女郎屋に身売りすると言うような塗炭の苦しみを味わって居る時に三井の團琢磨はドル買いで巨万の冨を得て国民の血に染まった金を悪の三井の蔵に蓄えた訳で井上は財閥に便宜を図って三井の團を助けた訳です。

中岡艮一先生の原敬誅殺は大正10年でしたから昭和維新の流れに関係があったにしても昭和維新の中に入れないで血盟團事件から二・二六事件までを昭和維新と言うそうです。

(写真 : Shouchiku Co.,Ltd)

♫権門上に驕れども國を憂うる誠無し、財閥富を誇れども社稷を思う心無し...

...と言う歌詞の『昭和維新の歌』を作詞されましたのは五・一五事件に蹶起した三上卓先生です。

昭和初期の日本はこの歌に歌われたような状況でしたから茨城県血盟團、茨城県農民決死隊及び愛郷塾、陸海軍の革新派青年将校の人たちが社稷を思って義憤に燃えて蹶起して自分の人生を捨てても悪と差し違える覚悟で昭和維新を目指した訳です。

二・二六事件が弾圧されて蹶起した革新派青年将校たちと思想家の北一輝先生が死刑に成ったんです。

革新派青年将校たちに左翼思想の影響を与えたと言う罪で思想家の北一輝先生までが死刑にされた事で昭和維新は潰された訳です。

その結果、陸軍内部の派閥争いに皇道派が敗れて東条英機らの統制派が実権を握った訳です。

昭和維新を右翼陣営が起こした事件だと思っているような勉強不足の人が多いみたいなので説明しますと昭和維新と言う物は民間の左翼農本主義及び左翼平民主義の人たちと陸海軍の革新派の青年将校たちが悪徳財閥と金権腐敗政権を倒して天皇中心の万民平等社会を作ろうとして蹶起した事件ですから左翼革新派側が起こした事件なんです。

青年将校たちが日の丸の鉢巻きをしてたり茨城県農民決死隊の人たちが『尊皇討奸』と書いた白襷(しろだすき)をしていた為に勉強不足の人たちは右翼陣営だと思うんでしょうけど当時の左翼陣営の人たちは現代の反日売国左翼と違って左翼でも愛国者だったんです。

左翼の人たちも天皇を日本民族の父として尊崇してましたから尊皇討奸と昭和維新断行を合言葉に茨城県農民決死隊の人たちはニ・ニ六事件の時に常磐線の汽車に乗って駆け付けたんです。

右翼と言う物は体制側で政権の番犬ですから体制側に噛み付く事はしないんです。

左翼革新派を弾圧して潰したので日本は財閥と結託する金権右翼が支配する軍国主義の道に突き進んだんです。

陸軍内部の東条英機らの統制派も近衛文麿内閣も財閥と結託して財閥の便宜を図りながら財閥を利用すると言う金権バカ右翼の体質でしたから日本は坂道を転落して行く事に成ったんです。

東条英機は小役人の官僚タイプの男でしたけど「B29に対して竹槍で立ち向かえ」と言った男ですから精神論者だった訳です。

「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を着ることなかれ」と言う有名な戦陣訓を作ったのは東条英機だそうです。

財閥は温存されて軍国主義者(国家社会主義者)の近衛文麿内閣は日本を軍国主義の道に行かせた訳です。

財閥は戦争で儲けますから近衛の内閣は都合が良かった訳です。

長引く支那事変に日支両軍の戦死者が増えて日本の軍部も蒋介石政権も互いに停戦を望んで停戦協定が纏まり掛けたのに近衛内閣が對華二十一箇条などと言う到底相手が飲む事が出来ない無理な条件を付けて停戦協定をブチ壊した訳です。

戦争が長引けば財閥は儲かりますから暴支膺懲を叫ぶ近衛文麿は財閥には都合が良かったんですけど近衛が掻き回して最終責任を取らずに政権を放り出して東条に貧乏籤を引かせた訳ですけど支那事変の泥沼化が対米戦争に繋がった訳ですから近衛文麿の罪は大きいんですけども、更に遠因を探せば二・二六事件の青年将校たちを死刑にして昭和維新を弾圧して潰した事が國が滅んだ事の原因だった訳です。

(Shouchiku Co.,Ltd)

♫ああ人栄え國滅ぶ、盲(めしい)たる民世に踊る...

...と言う字句が『昭和維新の歌(建國靑年日本の歌)』の歌詞にありますけど、「人が栄える」と言うのは下々の国民の事ではなくて財閥などの特権階級の奴らの事です。

GHQの『財閥解体』とやらは形の上だけで戦後も財閥は残りましたし占領軍のアメリカの統治支配が終わって日本は上辺は独立国家に成ったように見えますけども売国奴の痔民党とアメリカ政府の間の密約があって実態は今だにアメリカの属国な訳です。

今の日本の政治家に国家国民の事を考える誠心がある人が居るのかどうか判らないんですけど少なくとも円安物価高と増税で庶民を殺す岸田鬼幕府の要職に就いている奴には誠の人は居ないみたいです。

『昭和維新の歌(建國靑年日本の歌)』に共感するような世の中に成るとは思いもしなかったんですけど今の日本には国民の事を考える誠心を持った政治家は居なくて國民は物価高と増税に苦しんで隠忍持久で我慢してる訳です。

戦前は民間人が銃砲火薬店で銃器を自由に購入所持出来たんですけど戦後は政治テロを恐れる痔民党の連中が豊臣秀吉猿の刀狩り方式で取り締まってますから国民に武器が無いですし国家権力と警察力が強くて維新も革命も起こせない国ですから国民は耐えて耐えきれなくなったら自殺するしか無いと言う酷い状況に現在の日本は成ってるみたいです。

庶民は岸田にカチ込みを掛ける事が出来ないから首相官邸に宅急便でウンコを送りつけてやるくらいしか方法が無いみたいです。

(祖国の行く手如何ならん)などと言う事を城太郎も考えている今日この頃です。

例に拠って社交辞令の挨拶から前起きの雑談話の流れのペシャリの部分が長く成りましたけど本編は写真ブログですから能書きの文章はあまり書きませんので丁度良いバランスだと思います。

ちなみに『風の果て』と言う副題は藤沢周平先生の小説のタイトルからのパクリですけどタイトルをパクっただけですから内容は関係無いです。

今年の3月から8月までに撮った写真を選びました。
 
それでは写真ブログの本編に入ります。

本編、入ります!

(Sauce : FORO TV )
「本編に入るそうです」

【ピノ・スアレス駅前】

【無題】
Calle congreso de la unión (カジェ・コングレソ・デ・ラ・ウニオン)の通りに交差している横道です。

【ミーティング】
分隊長の人がメキシコ人にしては真面目な感じの人で細かい注意事項を分隊員に伝えてました。

城太郎が日本にいた時は正社員で就職した事がなくて渡り鳥的に色んな仕事をするフリーアルバイターだったんです。

日本K学警備保障と言うガードマン会社の仕事に応募して池袋の丸井の常駐警備の仕事をした事があるんですけどその時の池袋丸井派遣隊の隊長のA部さんに似た感じのメキシコ人の分隊長でした。

「原田警士、店内巡回開始します」と言ったらアベ隊長は 
「はいっ、お願いしま〜す」と言いながら敬礼するんですけど敬礼の仕方がケツをプリプリさせながらケツを後ろに突き出して黒縁メガネの顔面をこっちの方に突き出して来るケツプリの人だったんです。

こっちの警察官の人たちはメキシコ的な雰囲気で上官の人が仕事の話をしてるのに階級章に線が無い平の巡査のお姉さんが煙草を喫いながら「おう、おう、おう、それで?(ってか、てめえ話長えんだ、まとめろ!)」みたいな感じでした。

【無題】
たそがれてる人がメキシコにもいます。

【無題】
写真左のお姉さんは韓国系の人か中国系の人みたいです。

【イダルゴ駅前】
色補正をしたらバックが白く飛んで初期の大友克洋先生の画風的な写真に成りました。

【ゴクウ団部隊員】
城太郎の住んでる町の顔見知りと言うかお友達のお姉さんたちです。

このお姉さんたちも『我々のゴクウ団』の団員の人たちです。

【無題】
大阪以外の場所で豹柄の姐さんを見るのは珍しいです。
良く見たら豹柄じゃなかったんですけど大阪の姐さん的な感じの人ですから豹柄っぽい感じでした。
 
【無題】
極真空手の創始者の大山倍達館長の「技は力の中にある」と言うのは真理です。

この兄貴が格闘技をやっているのか?喧嘩根性がどれほどあるのか?は別としてガタイがありますからかなり行くタイプみたいです。

【カンデラリア駅前の道】

【無題】

【無題】
この写真は良く撮れた気がします。

【サン・ラサロ駅前】

【無題】
Isabela la catrica 駅の近くです。

【無題】

【無題】

【無題】
コビード予防のマスクをしているメキシコ人にしては教養がある人が偶(たま)にいます。

【無題】
この写真は上手く撮れた気がします。
構図のアイディアが良かったと思います。

【駅】
この写真は逆に上からの構図で撮りました。 

【無題】

【無題】

【無題】
かなりピントが甘かったんですけどソフトな感じの写真に成った気がします。

【空港内のコンビニ】
空港内のお店はファーストフード店もレストランやカフェテリアなどは外国人旅行者相手の特別ボリ価格のふざけた値段で高いので空港内で働いている人たちはコンビニで食べ物や飲み物を買うのは世界中どこの空港でも同じみたいです。

写真の警察官のお姉さんはパンと飲み物を買いに来たみたいです。

【無題】
イスタカルコ区のビリヤード場に居たコロンビアから来た移民の人です。

城太郎が住んでる町にもベネスエラやクバから来た人たちが多いんですけど治安が悪い下町は家賃や物価が安いから移民の人たちは下町に住むんです。

【無題】
城太郎の姪のメルチェ姐さんです。
タトゥーがかなり入ってます。

【ゴクウ団部隊員】
日本語で『ヤバッ!』って書いてある帽子を被ってます。

【準ゴクウ団員】
サンボルス百貨店のカフェテリアで働いているジェシカ姐さんです。

ジェシカも城太郎のお友達なんですけど城太郎が住んでる町の隣町に住んでるので正規のゴクウ団員ではなくて準会員です。

【無題】
この人はメキシコシティの隣の州のエスタード・デ・メヒコ(メキシコ州)に住んでる人らしいんですけど城太郎が住んでる町のビリヤード場にも時々来るしイスタカルコのビリヤード場にも行くみたいなんです。

アベレージが0.600台の2級の人らしいんですけど中々良い球を撞く人です。
マルコ・ザネッティ選手とのチャレンジマッチに来たみたいです。

【無題】

【無題】
「こんちは〜」と話しかけたらピースサインで応えてくれました。

【無題】
 
【無題】

【無題】

【無題】

こんな感じの写真を撮りました。
長く成ったので次回に続きます。

※次回は少し間が開きます
※無断転載はお断りしてますので宜しくお願いします。

(Sauce Multimedios TV )
「次回に続くそうです」