エドワード・ホッパーさんの絵みたいな感じの写真を撮りたいと思ってるんですけどこの写真は上手く撮れた気がします。

拝啓、皆さまこんばんは

今日のメキシコシティ連邦区の昼間の最高気温さまは29℃で凄く暑かったです。

城太郎が初めてメキシコに来たのが1987年なんですけどその当時は日本でバイト仕事で半年働いてメキシコで半年暮らすと言う感じで行ったり来たりしてたんです。

そのあと本格的にメキシコに住んで生活するように成って気が付いたらメキシコに37年住んでるんです。

↑レストラン東●さんの店内です。

オーナーの人はキュウシュウの人なんですけど日本の首都で花の都のTО●YОさまに憧れがあったのか何だか判らないんですけど店の名前が東●なんです。

メキシコシティ1の繁華街のソナ・ローサ地区にあった日本料理店のレストランT京さんが閉店に成ったのが今から20年くらい前なんです。

ボーイ長だったK寺さんは青森県出身で日本に居た時は新宿歌舞伎町で流しのギター弾きをしてたそうなんですけどもメキシコの年金が貰えるように成ったのでレストラン東●を退職して音楽教室を開いたそうなんです。

オーナーから任されて総支配人と言うかマネージャーとして店を仕切っていたのは同じく青森県出身の人で О 原さんて言う女の人だったんです。

その小●さんも退職金を貰って定年退職をして日本人スタッフが居なく成ってオーナーの人も高齢だし信用出来る日本人スタッフが居なく成ったのでメキシコ人に店を居抜きで売ったみたいなんです。

そうしたら味が凄く不味く成って閉店に成ったみたいなんです。

城太郎がメキシコに来て初めの頃なんですけどメキシコに来て3年か4年くらいの時でソナ・ローサのビジャローサって言うビリヤード場に城太郎が毎日通っていた頃にレストランT●KYОさんに良く行ったんです。

バイトの日本人はバッパーの人が何ヶ月か働いてまた他の国に行ったりして入れ替わってたんですけどО原さんとK寺さんはずっと働いていてその当時で既に20年くらいメキシコに住んでる人たちだったんです。

城太郎は別に日本食恋しさと言う訳ではなくて日本人と日本語で会話すると言う事がずっと無い生活だったので小原さんとか小寺さんたちとお友だち付き合いをさせて貰って日本語で会話をする為にレストラン東京に通ってたんです。

О原さんもK寺さんもどう言う事情なのか判らないんですけども20数年間1回も日本に帰った事がなくて2人とも「日本に旅行しようと言う気持ちすら無い」と言ってたんです。

(この人たちは青森県の村で村八分にされて日本を捨ててメキシコに来たのか?)と城太郎は思ったんですけどそう思わせるような雰囲気があったんです。

↑コロナが流行る前の2018年に日本に旅行した時の城太郎です。

城太郎の奥さんのウメ星デンカさまとか娘のググ(👉グーグーガンモ)たちへのお土産のTシャツとか靴なんかを買いに原宿に行きました。

城太郎も日本の村社会が嫌いで日本を捨ててメキシコに来た訳ですけども城太郎は日本に住むのは嫌なんですけど旅行で行くのは好きなんです。

旅行で行く場合でしたら例えばビリヤード場の中の日本特有の面倒臭い人間関係の派閥争いみたいな物に対して治外法権で局外の立場でいられますし城太郎は日本人なんですけど日本人でありながら旅行者の立場ですから旅行で日本に行くのは好きなんです。

旅行ですら日本に行きたくないと言うО原さんとかK寺さんの場合はどんな事情があるのか?と言う事に野次馬根性的な興味があるんです。

東北の雪国だけにかなりアレな事情があるのでは無いか?と言う興味があるんです。

(くわぁ〜、知りてえ〜)

八つ墓村みたいな話だったりして...

城太郎の実家は東京都新宿区で歌舞伎町とか新大久保の近くなんです。

地上げされて近所の人たちも顔ぶれが変わってしまって外国人の人が多く成ってしまったような場所ですから『故郷の人々』に対する想いと言うような物もあまり無いですし日本にずっと帰ってなくても日本が恋しいと言うような気持ちも今は無くなって来たみたいなんです。

日本に旅行する時は1ヶ月くらい日本に滞在するんですけども僅か1ヶ月メキシコを留守にして日本に居ると言うのにメキシコの事が恋しく感じるんです。

(Sauce : フォレスタ)

合唱グループ『フォレスタ』の人たちです。

国立音楽大学の声楽科出身の人たちは基礎から勉強して声量があるから商業歌手の人たちのようにマイク操作で誤魔化す必要が無いのでマイクを遠くに離して歌ってます。

(Sauce : フォレスタ)
この人もマイクを遠くに離してます。

(Sauce : フォレスタ)

YouTube でフォレスタって言う合唱グループの人たちのビデオを見つけたんです。

♫兎追いしかの山〜、小鮒釣りしかの川〜...の歌詞の『故郷(ふるさと)』だとか♫ウェ〜イ、ダウンナッポン、ザ・スワニ〜リバ〜、ファー、ファーラウェイ...と言う歌詞のステファン・フォスターさんのSwanee Riverの日本語カバー版の『故郷の人々』なんかを城太郎は近頃聴いてるんです。

Swanee River の場合は城太郎はオリジナルの英語版よりも日本語版の歌詞の方が好きです。

城太郎はメキシコにずっと住んでメキシコで生きてメキシコで死ぬ訳ですからつまり今の城太郎の祖国はメキシコなんです。

今回の写真ブログのタイトルの『故郷の人々』と言うのはつまり城太郎の今の祖国のメキシコの人々と言う意味で城太郎が懐かしく思うようなメキシコ人とかメキシコの風景を写した写真を選びました。

前置きのペシャリが長く成りましたけども本編の方は写真ブログだから丁度良いバランスだと思います。

それでは本編に入ります。




太陽光の状況が悪くて撮影条件が悪かったので色補正が難しい写真でした。


このお姉さんはメキシコシティ首都警察の警察官の人です。


昔撮った写真なんですけどかなりエフェクトを掛けて色補正してます。

この当時はこう言う画風に凝っていた時期です。



安売り地区のテピートです。

テピートのベースボールキャップ屋さんです。

この写真は上手く撮れた気がします。

こう言うタッチの絵柄に凝っていた時期です。

太陽光線が悪くて色補正が凄く難しい写真でした。



ソカロの憲法広場前の警備と交通誘導をしている警察官のお姉さんです。
ソカロ広場前の警察官のお姉さんたちだけ特別のフランス帽を被ってます。

日本語の文字が書いてあるTシャツを着てる人たちは城太郎に文字の意味を訊いて来ます。

「¿Que dice aqui ?(これ何て書いてあるんだ?)」って訊いて来るんです。







こんな感じの写真を選んでみました。

(Sauce : フォレスタ)

親兄弟に対する気持ちはあるんですけど日本と言う国とか同胞(はらから)に対しての気持ちとか想いと言う物が薄れて行って今はメキシコが祖国でメキシコ人が城太郎にとっての『故郷の人々』だと言う事に近頃気が付いたんです...

※無断転載はお断わりしてますので宜しくお願いします。