(Sauce Multimedios TV )
本日2023年12月8日(金)のメキシコシティの昼間の最高気温さまは20℃でしたけどお降水確率さまの方は40%でございました。
(Sauce : Multimedios TV )
明日の土曜日からの三日間予報です。
本日12月8日は我が大日本帝国海軍の南雲機動部隊がハワイ真珠湾攻撃を敢行した日です。
今から82年前に我が祖國日本の海軍航空隊が米國太平洋艦隊の本拠地たる布哇(ハワイ)の真珠湾を攻撃したんです。
城太郎は童顔の為に50代〜60歳台に見られてしまふんですけど實を言ひますと大正四年生まれで今年106歳に成るんです。
城太郎はB29撃墜王として有名な302空の遠藤幸男大尉(戰死後2階級特進で中佐)と同期で豫科練の第1期生なんです。
真珠湾攻撃の時は城太郎は確か25歳くらひで階級は一飛曹(いっぴさふ)の時でしたけど第1次攻撃隊の制空隊の小隊長として空母赤城から出撃しました。
日露戰争の日本海海戰の決戰の時に我々の父祖が仰ぎ見たZ旗が掲揚されたのを見て城太郎は身が引き締まる気持ちでした。
海が荒れてゐて普段の訓練ならば発艦取り止めに成るくらひの状況下でしたけど1機の事故も無く全機無事に発艦したのですから月月火水木金金の猛訓練で練り上げられた当時の日本海軍航空隊の搭乗員の技量と言ふ物は實に凄かったと思ひます。
戰後に知った事なんですけど真珠湾攻撃に参加した搭乗員は約九百名だったさふなんですけどその内の五割が1年以内に戰死して靖國神社に行って終戰まで生き残った搭乗員は2割以下ださふなんです。
艦爆隊や艦攻隊に行った同期生は全滅して全員靖國神社に行きました。
今想ひ出しますと米國との戰(いくさ)の期間と言ふ物は自分の人生の数十分の1に過ぎなひ三年九ヶ月の時間だった譯ですけども、その時間があたかも自分の人生の全てであったかのやふに強烈に脳裏に焼き付ひているんです。
城太郎が豫科練に志願した頃は米國との戰争が起きるよりずっと前でしたから城太郎は愛國心と言ふよりは只単に空への憧れから飛行機乗りを志願したんです。
戰後は民間航空會社の日本航空にパイロットとして入社しまして城太郎は國際線の機長として操縦桿を握ったあとに機長を引退してパイロットを養成する學校の教官を十年近く勤めてから日航を定年退職しました。
城太郎は飛行機が好きなものですから墨西哥合州国に來てからも空港の近くに居を構へて住んでるんです...
...って言うのは嘘です😣
大正生まれの人の振りがしたくて嘘付いちゃいました😣
嘘で〜す、すいませ〜ん😣
空港の近くに住んでる事は事実ですけど大正四年生まれとか豫科練1期生とか言うのは全部嘘です。
今日12月8日に城太郎は82年前の事を想い出して飛行機の写真を撮ろうと思って家の近くの空港大通りまで写真を撮りに行ったんです。
そう言う事で今回はまた写真ブログです。
前置きが長く成りましたけど本編は写真ブログですからあまり能書きの文章を書きませんので丁度良いバランスだと思います。
それでは本編に入ります。
本編、入ります!
高級地区のポランコ地区に日本人村を作って住んでいる日本企業のリーマンの人たちとか日本大使館の人たちが書いてる物を読みますと「空港の近くは治安が良くないスラム地区です」と言うような書き方なんですけど城太郎的には『住めば都』ですし気取らないチープな下町です。
空港大通りに着きました。
第1部(完)
第2部に続きます。
※無断転載はお断わりしてますので宜しくお願いします。