萬山天鬼写真アルバム↓
咄嗟の撮影だったので斜めに成りました。
映画『仁義なき戦い』の撮影を担当した吉田貞次さん的なキャメラワークの味が出た感じがしました。
拝啓、皆さまこんばんは😣
御賢台さま方に於かれましては如何お過ごしでせうか?🤔
先ず表題のウラカン・オティスについて説明します。
生意気にもHuracán Otis (ウラカン・オティス)などとスペイン語に訳してやがるんです。
英語のHurricane Otis(ハリケーン・オーティス)の事なんですけど勝手にスペイン語に翻訳してオーティスをオティスとか言っちゃってるんです。
このウラカン・オティスがゲレロ州の高級リゾート地のアカプルコさまを直撃したそうなんです。😣
城太郎は童顔で若く見られがちな為に50歳〜60歳くらひに見られてしまふんですけど實を言ひますと大正12年の生まれでして今年百歳なんです。
米國との戰争が始まる前の時代でしたけど城太郎は飛行機乗りに憧れてゐたので少飛(陸軍少年飛行兵学校)を受験して合格しまして念願の陸軍の戰闘機搭乗員に成ったんです。
埼玉縣熊谷の少年飛行兵學校を卒業して実戰部隊に配属されたのが米英との戰争が始まる直前の祖國の行手に風雲急を告げる昭和15年の10月でした...
『加藤隼戰闘隊』の歌に唄はれました加藤建夫戰隊長率ひる飛行64戰隊に配属されて城太郎は愛機1式戰闘機隼に乗って對米英戰争の開戰から終戰まで戰ひ抜きました。
自分も老境に差し掛かりまして夏の日の青ひ空に白ひ雲が浮かんでゐるのを見ますと我が戰爆聯合の堂々の大編隊の中を爆撃隊を掩護して雲の果てを征く隼戰闘機の勇姿が瞼に浮かんで來まして愛機隼のエンヂン音が耳朶の奥に聴こへるやふな氣がして不覚にも涙が溢れてしまふんです。
♫エンヂンの音、轟々と
隼は征く、雲の果て...
インパール作戰の時にビルマの基地から印度のインパールを空襲に征った時の我が戰爆聯合の堂々の大編隊が銀翼を聯ねてアラカン山脈を越へて敵地に進攻した時の事を想ひ出すんです。
...って言うのは嘘です😣
大正生まれの人の振りがしたくて嘘付いちゃいました😣
嘘で〜す、すいませ〜ん😣
ハリケーンと言ひますと我々の世代の陸軍航空隊の搭乗員ですと英國空軍のホーカー・ハリケーン戰闘機の事なんです。
ハリケーン戰闘機はスーパーマリン・スピットファイア戰闘機と共に英國本土上空の防空戰闘(バトル・オブ・ブリテン)で独逸空軍のメッサーシュミット戰闘機を迎へ撃ってこれを撃退して邀撃任務を全ふした事で名声を得た傑作戰闘機です。
速度と運動性能に於ひては新型のスピットファイアより劣ってゐましたけど20粍機関砲四門の強力な兵装を備へてゐますし更に機體の頑丈さではスピットファイアよりも優れてゐたハリケーン戦闘機は武装が貧弱な隼にとってはある意味スピットファイア以上の強敵でした...
(HASEGAWA CORPORATION )
「五時方向にハリケーンの編隊!第1中隊爆撃隊直掩、第2中隊上空掩護、第3中隊敵戰闘機邀撃、掛かれーっ!」
栄光の軍神戰隊の加藤隼戰闘隊こと大日本帝國陸軍飛行64戰隊の1式戦隼戰闘機です。
加藤戰隊長は個人技に走る事を堅く戒めて隊員たちに毛利元就公の三本の矢の精神を説ひて相互支援の編隊空戰を徹底させて強敵に對して部隊の團結心で戰ふと言ふ加藤部隊の傳統を作りました。
過ぎし幾多の空中戰
銃弾唸るその中に
必ず勝つの信念と
死なば共にの團結の
心で握る操縦桿
20粍機関砲の強力な兵装を持つ海軍の零戰と違って武装が貧弱で速度が遅ひ隼戰闘機を使用機材にしてましたから相互支援をして編隊空戦を行なって部隊の團結心で米英の新型戰闘機に立ち向かったんです...
大戰末期に僚隊の飛行50戰隊は新型機の四式戰疾風に機種改編しましたが加藤戰隊長が戰死されて軍神戰隊に成った我が64戰隊は苦勞を共にした1式戰闘機隼の死に水を取る為に機種改編せずに終戰まで旧式の隼戰闘機で戰ひ抜きました。
この経緯は64戰隊の最後の戰隊長の宮辺少佐が戰後にお書きに成った回想録に詳しく書ひてあります。
飛行團の参謀が來て宮辺少佐に「宮辺、64戰隊は隼の死に水を取ってやってくれ」と頼んだそうです。
ハリケーンの後継機のタイフーンは米軍のP47のやふな性格のヤーボ(戰闘爆撃機)として使用されました。
タイフーンの後継機のテンペストも戰闘爆撃機でした。
タイフーンもテンペストも欧州戰線で独逸軍の戰車を攻撃する為に使はれたので極東戦線に送られてませんので我が隼戰闘機隊とは戦ってません。
自分はパレンバンの航空撃滅戰の時に和蘭空軍のバッファロー戰闘機と戰ったのを初めとして終戰までにスマトラ、ジャバ、マレー半島、ビルマ、印度、中國雲南省、タイ國、カンボジア、ベトナムと轉戰して英國空軍のハリケーン及びスピットファイア戰闘機とボーファイター及びブレニム爆撃機とモスキート偵察機、米国陸軍のP51戰闘機やB24爆撃機などと空中戰を戰ひましたけどタイフーンとかテンペストと言ふ飛行機は見た覚へが無くて記憶にありません。
戰後に成って知った事なんですけどハリケーンもタイフーンもテンペストも台風とか暴風雨と言ふ意味の英語ださふです。
ハリケーン戰闘機でしたら我が爆撃機隊を狙って來ますし機體が頑丈で兵装も強力ですから厄介な相手なんですけどウラカンとか言ふ台風がアカプルコに来て高級リゾート地のアカプルコが水浸しに成ったとか言う話なんです。
「ニベル5級の大型ウラカンのオティスがゲレロ州アカプルコを直撃して甚大な被害が出たそうです」
※Nivel (ニベル)👉英語のレベルと言う意味です。
更に詳しい続報が入ったかと思って昼のニュースも見てみました。
「こちら現場です」
レポーターが白こい顔して山登りの格好でレポートしてました。
吉本興業の若手芸人が目立つ為にイキってるみたいです。
(ワレ、何イキっとんのや?)
【オティスの通過で2人死亡 : 被害地区で救助活動が開始されました】
警察のレスキュー隊のヘリコプター部隊のコンドル隊が負傷者をヘリコプターで搬送したそうです。
(Sauce : Multimedios TV )
アカプルコ近辺の病院ではなくて設備が整っているメキシコシティの病院に搬送したそうです。
(Sauce : Multimedios TV )
高層ビルの高級リゾートホテルさまの窓ガラスが割れて暴風雨の水が室内に入ったそうです。
地元の人が死んでる訳ですから(物見遊山の観光客の奴らも少しは大変な思いをしろや、舐めてんじゃねえ!😡)と思いました。
バカ高い値段のリゾート地に物見遊山に行きやがった観光客が死ぬならともかく地元民が死んだのは気の毒とは思いましたけど死亡者が2名で負傷者も大して多くなかったそうです。
イスラエル軍に殺戮されているガザ地区のパレスチナ人の人たちの事を思えば大した被害じゃない訳です。
今月の7日に衝突が始まってからイスラエル軍の攻撃で殺されたガザ地区のパレスチナ人の数はガザ地区保険当局に拠りますと6546人で、この内の2704人が14歳以下の子どもだそうです。
イスラエル軍の爆撃で発電所が破壊された為に病院などではガソリンエンジンで発電する発電機を使っていたそうなんです。
燃料が無くなればそれも終わりに成って生命維持装置を付けた患者さんや特別室の乳幼児たちが死ぬ訳です。
そう言う事が判っていながらと言うかそれを狙ってイスラエル軍は攻撃しているんです。
アメリカ合臭国とイスラエルの理屈では第二次世界大戦中にナチスドイツに占領されていたフランスやチェコのパルチザンがドイツ兵や民間人のドイツ人を殺した事はテロ行為ではなくてパルチザンのレジスタンスと言う事らしいんです。
そう言う定義を付けるならばナチスイスラエル帝国に占領されて虐げられているパレスチナ側のムジャヒディーンの組織が同じ行為をした場合もパルチザンのレジスタンス行為と定義すべきなのにナチスイスラエルはイスラーム抵抗運動(ハマス)の場合はテロリストに拠るテロ行為と断じてハマスを壊滅させると言う大義名分でハマスと関係が無いパレスチナの無辜の民を殺戮しているんです。
ナチスドイツに占領されていたチェコ・スロヴァキアのレジスタンス隊員Jan Kubiš(ヤン・クビシュ)がSS副官でモラビア・ボヘミア保護領のチェコ総督のラインハルト・ハイドリヒを殺した時にナチス側は報復にクビシュら暗殺犯人を出した村を襲って数百人のチェコの民間人を虐殺したんですけどイスラエルが今やってる事は同じ事なんです。
一般大衆レベルの民衆はどちらに正義があるのかが分かりますからイスラエルを非難してパレスチナを支持する人たちが世界中でイスラエル糾弾のデモ集会をしているんですけど国の政府レベルだとアメリカ合臭国の顔色を覗ってイスラエルを支持する馬鹿な政府が多いんです。
アカプルコ地震の話に戻しますと支援物資をアカプルコなんかに送る必要は無いんです。
(ゲレロ州のアカプルコに支援物資を送る前にパレスチナのガザ地区に送れ!)って思いました。
イスラエル軍に虐殺されたパレスチナの民間人の人たちのご冥福をお祈りします。
城太郎が海軍の零戦隊の事をあまり書かないで陸軍の隼戦闘機隊の事を書く場合が多いのは何故か?🤔と言いますと城太郎は陸軍航空隊のファンで零戦よりも1式戰隼の方が好きだからなんです。
※P.S.(追伸)👉更に翌日(10月27日)の報道に拠りますとアカプルコの台風に拠る死者は27人に増えていました。
※当ブログからの無断転載はお断わりしてますので宜しくお願いします。