(↑著者近影😣)

拝啓、皆さま如何お過ごしでせうか?

本日令和伍年弐月弐拾四日(金)の墨西哥市の昼間の最高気温は28℃でした。

城太郎は日本在住の人から見ますとチャラい感じと言うか年相応の貫禄が無い為に少し若く見えちゃうかも知れないんですけど実は城太郎は還暦過ぎのじじいなんです。☺️
城太郎はじじいなんです☺️

まだ数年あるんですけど城太郎も日本の年金さまが受領出来るんです。
メキシコにずっと住んでいて永住する気なんですけど日本の年金も貰いたいから保険料を頑張ってずっと払っていたんです。

(写真はネットの人からお借りしました)
第71代・72代・73代日本国総理大臣の中曽根康弘さんです。

中曽根康弘さんは日本1の侠客国定忠治親分が生まれた上州群馬県出身の人でしたし戦時中に海軍の主計将校として南方戦線の実戦に参加して部下たちをアメリカ軍に殺された経験をした人ですから生き残った自分たちが亡き戦友たちの遺志を継いで日本を再建すると言う愛国心を持っていた人でした。

中曽根さんは南方の島に飛行場を作る任務の設営隊の主計長として広島県呉市から14隻の船団で南方に向かったそうです。

人力作業で飛行場を建設する設営隊の作業員は民間からの徴用でかなりの人数の受刑者が混じっていたそうです。
2000人の作業員を纏める立場の中曽根さんは前科八犯のヤクザで親分肌の古田と言う男を班長に任命したらしいんです。

「古田よ、お前も随分と天皇陛下に迷惑を掛けて来たけどいよいよ戦争だから御國の為に働く時だぞ」
「へい」
「俺も本職の軍人じゃねえから海軍の事は良く判らんが俺は国定忠治親分の上州の生まれだ、古田よ...俺の子分に成らんか?」
「へい、お願いします」
「俺の盃を飲むか?」
「へいっ、頂戴いたします」
と言ってヤクザの古田と盃をして作業員たちを上手く纏めていたそうです。

その古田さんもアメリカ軍の攻撃でやられて「隊長、すまねえ、やられちまった」と言って亡くなったそうです...

日本が無念の敗戦を遂げてアメリカの占領下だった昭和22年に中曽根康弘氏は「占領中は喪中だ」との考えで黒ネクタイを締めて国会に初登院したそうです。

中曽根氏は聯合國最高司令官のダグラス・マッカーサー(以後マと表記します☺️)の糞野郎に対して英文の建白書を提出してGHQ及び糞マの政策を痛烈に批判した硬骨漢の愛国者でした。

その中曽根さんが幕府の将軍さまを勤めておられた昭和62年(耶蘇教暦1987年)に城太郎は日本を村抜け脱藩したんです。

中曽根康弘将軍さまの政(まつりごと)が宜しきを得た為に当時の日本はジャパン・アズ・ナンバーワンの不沈空母と成っていた時代でジャパン・マニーの円さまの貨幣価値さまが(良く覚えてないんですけど)たぶん最大で1ダラー87円くらいと言う脅威的な時代で円が強かったんです。

戦前は円の下に銭(せん)と言う単位の硬貨があったんです。

『死線を潜り苦戦を越える』と言う験担ぎ(げんかつぎ)で出征兵士に贈る千人針の布に五銭と十銭の硬貨を縫い付けたりしたんです。

城太郎が予科練に入隊する時に城太郎のお母(おっかあ)とおばあちゃんたちが省線電車の新宿駅の前で同胞の御婦人方に1針ずつ頼んで千人針のお守りを作ってくれたんですけど五銭と十銭の硬貨が縫い付けてありました。

その千人針のお守りを中学の学生服の下に巻いて城太郎は(さらば祖國よ榮あれ)と言う気持ちで茨城縣の霞ヶ浦行きの汽車に乗ったんです...
上野驛から汽車に乗る時に見送りの人たちが日の丸の旗を振って予科練の歌を歌って見送ってくれました...

城太郎のおばあちゃんは「お腹を壊さないように」と言って城太郎のお母(おっかあ)と姉ちゃんは「お國の為にしっかり戦って来なさい」って言った事を覚えてます...

城太郎が甲飛(甲種飛行予科練習生)を志願して同期入隊の仲間たちと常磐線の汽車に乗って茨城県の霞ヶ浦海軍航空隊に向かったのは昭和19年の春まだ寒い日で城太郎が15歳の時でした...

...って言うのは実は嘘で城太郎は生まれるのが遅すぎた為に予科練に志願出来なかったんです。
大正生まれの人の振りがしたくて嘘付いちゃいました。
嘘で〜す、すいませ〜ん😣

話を戻しますと、つまり戦後の日本円には外国のセントとかセッティモとかセンターボに相当する銭(せん)の硬貨が無いものですからアメリカの腐れヤンキーどもの通貨のドルが1ダラーが百円の時に等価で強さが対等なんです。

つまりワンダラーが87円と言う事はアメリカの1ドルが日本の金に両替したら1円の下の87銭の価値しか無いと言う事だった訳です。

城太郎は当時ビリヤードのキューを日本から仕入れてメキシコで売ったりしてたんですけど良く覚えて無いんですけど例えば10万円が2万2千ペソもしたから円が強かったんです。

次の幕府の将軍さまの竹下登さんも学徒出陣で陸軍の航空将校として震天制空隊に居た人だから愛国者のはずだったんですけどリクルート事件をやらかした責任を取って辞任したんです。

そのあとは宇野だの海部だの訳が判らない小者がやってたんですけど平成13年(耶蘇暦2001年)に在日朝鮮人で横須賀の朝鮮系暴力団組長の倅(せがれ)の朴純一郎が幕府の将軍さまに成ってしまったんです。

(写真はネットの人からお借りしました)

一目(ひとめ)で在日の朝鮮民族の人と言う事が判る顔をしている見事な朝●ヅラの朴純一郎将軍さまです。

(写真はネットの人からお借りしました)
朴純一郎の共犯者の竹中平蔵殿です。

この朴純一郎将軍さまと老中の竹中平蔵氏(うじ)が日本破壊工作をして日本企業を内外のハゲタカファンドの奴らに売っ払ったりした為に日本を格差社会にして平成不況にして同時に教育破壊をして日本の教育を崩壊させて日本人の倫理とモラルを殺したらしいんですけどまだ円自体は今ほど安く成ってなかったから10万円が1万8千ペソくらいだったんです。

印度生まれのイギリス人のイーデス・ハンソンさんとかメキシコ人とのハーフの政井マヤさんみたいなイギリスとかメキシコとかの系統の外国人の人だったら政治家に成っても破壊活動とか売国活動はしないですから別に問題は無いと思うんです。

日本の場合は反日国家の朝鮮系の人とか支那人の人たちが政界とマスコミにたくさん潜入してる事が問題だと思うんです。

それで朴純一郎以後も反日国家の工作員とか売国奴の人たちがずっと幕府の実権を握って将軍職をして中曽根康弘さんが作った不沈空母の船底に穴を開けて日本を沈ませる工作をし続けたんです。

国賊カタログと言いますか、つまり反日国家の工作員のお売国奴さまと言う噂がある先生さまたちの写真を並べました↓

(写真はネットの人からお借りしました)

(写真はネットの人からお借りしました)

(写真はネットの人からお借りしました)
村山富市も酷かったんですけど韓国の売春婦像の前で土下座して来たこの男も朝鮮人で反日国家の韓国の手先きと噂されてる人でした。

(写真はネットの人からお借りしました)
この人はタカ派の振りをしていながら韓国の右派勢力の勝共連合とネズミ講組織のカルト教団の統一教会とズブズブだった売国奴の人だったみたいです。

(写真はネットの人からお借りしました)
税金が原資の官房機密費とやらのお金を200億円くらい行方不明にした(≒盗んだ)この男も国賊と言う評価を多くの人にされた人です。

東京新聞の望月イソコさんとの絡みが中々面白かったんですけどこのじじいの凄い点は自分が金を盗む事以外の事には関心が全く無いのか事務方に書かせた原稿すら満足に読めないし広島の原爆式典で広島(ヒロシマ)の地名をヒロマシ市などと間違えると言う凄さで総理大臣としての仕事にこれだけ無関心でやる気が無かった人も珍しかったです。

(写真はネットの人からお借りしました)

アベノ・ミクス円安誘導日本破壊工作をした故チンソ・アベ(安倍晋三のスペイン語読み😣)将軍さまです。

元日銀に居た幹部の人が「アベノミクスは絶対に上手く行かないと言う事は日銀に居た全員が知って居たけど(安倍さんに逆らえなくて)やるしかなかった」などと言う事を証言してました。
アベが完全な確信犯で日本円を紙屑にして日本経済に止めを差して完全に殺す為にやった事が判明しました。

農水大臣だった松岡利勝さんの不審死とアキエの例の事件の秘密を知っていた近畿財務局の赤木俊夫さんの謎の死はアベが暗殺隊を使って自殺に見せかけて松岡さんと赤木さんを殺させたと言う説を城太郎は支持します。

山上さんの1撃がアベが日本経済を完全に殺してからではなくてもっと早くにカチ込んでくれていてアベだけではなくて日銀総裁の黒●東彦もセットでやってくれていたならと言う事が悔やまれます。

(写真はネットの人からお借りしました)

チンソの父親はイラン・イラク戦争の時にイラン在留邦人を見捨てて棄民しようとしたアベ・チンタロウ害務大臣ですからチンソの弱者殺し庶民殺しの性格は親父譲りみたいです。

(写真はネットの人からお借りしました)
チンソ・アベの共犯者の日銀の黒田パルピコです。

アベノ・ミクスとか言う謀略の日本破壊工作をして日本経済を完璧に殺したチンソ・アベと共犯者の日銀の黒●東彦のせいで日本の通貨の円は露西亜のルーブル以下に成ってしまって日本の民百姓衆は給料が上がらなくて物価だけ上がって大変だけど欧米とか他の亜細亜諸国の人たちからは物価が安い国と言う評価を受けて観光立国を目指して『おもてなしの國』などと口先きの嘘の騙しばかり上手いアベの奴が言ってましたけど要は日本と言う国を観光以外に外貨を稼ぐ手段が無いギリシャみたいなレベルの国にアベがしたんです。

昔は物価が安い韓国に旅行する日本人が多かったのに今は日本の物価が安いから中国人と韓国人が日本に旅行に来る時代に成ってしまって日本人で海外に旅行する人が少なく成ってるんです。

まあ韓国経済もバブルが弾けて破産するのは時間の問題ですから台湾併合の戦争をしなければお中国さまの1人勝ちに成るみたいです。

メキシコの事を南米と思ってる人が居るみたいなんですけどメキシコ合州国とアメリカ合臭国とカナダは北米大陸ですからメキシコは中南米ではなくて北米なんです。

北米とか中南米と言うのは地理的な区分なんです。

文化的な区分でスペイン語を公用語とする国と言う意味のラテンアメリカとかイスパノアメリカと言う区分でしたらメキシコ合州国の公用語はスペイン語ですからメキシコ合州国はラテンアメリカの1員なんです。

中南米とかラテンアメリカなら物価が安いと思って中米のパナマに旅行した人がジャンクフードのハンバーガーショップのマックダナーに入ってセット価格が日本円で計算したら2000円くらいして驚いたとか言う事に成ってしまってる状態ですから日本人で海外旅行に行ける人も少なく成るでしょうし無駄なお金だから仕事で外国に旅行する人以外は物見遊山の観光旅行で外国に行く人は少なく成って来たみたいです。

国賊カタログみたいな感じで上にたくさんの国賊の写真を載せた訳ですけど確かに初めに日本破壊工作をした朴純一郎の罪も大きいんですけどアベノミクスで円安にして日本を貧しい国にしやがったチンソ・アベの奴が城太郎的には1番ムカ付きます。

(写真はネットの人からお借りしました)
五公五民の岸田増税幕府の岸田増税雄将軍さまです

岸田増税雄(ぞぜお👉通名文雄)に至っては民百姓衆の若い衆が稼いだ金子(きんす)の半分しか自分で使えないと言う五公五民と言う江戸時代の農民みたいな状態にさせてる訳です。
一揆しか無いです。
郡上一揆です。

※郡上一揆(ぐじょういっき)は江戸時代に美濃国郡上藩(現岐阜県郡上市)で発生した大規模な農民一揆です。

緒方直人さん、岩崎ひろみさんや永島敏行さんが出演した『郡上一揆』の映画です。
(写真はネットの人からお借りしました)

城太郎のビリヤードの友だちのM好さんて言う人はスリークッションも撞いていたんですけどポケットビリヤードの人だったんです。
スリーは13点くらいの低点者だったから専門はポケットの人だったんです。

その三●のおっさんが早期退職に応じて退職金を少し多目に貰ってフィリピンに戸建ての家なのかコンドミニアムの部屋なのか判らないですけどとにかく家を買って移住したらしいんです。
リタイヤしたあとに自分の趣味のビリヤード三昧(ざんまい)の生活をする為にM好さんはフィリピンに移住したらしいんです。

スリークッションが好きな人だとスペインかトルコか韓国に行くんですけどポケットビリヤードが好きな人はフィリピンか台湾に行くんです。

メキシコとコロンビアもキャロムビリヤードのスリークッションが盛んな国なんですけど治安の悪さがあるのでビリヤード目的で居住する場合はスペインやトルコや韓国の方が良い国なんです。

素人店に行って初心者でガチャガチャやってる人で日本人客が居るのかどうかまでは把握してないんですけどある程度の高点者の常連客ではメキシコでは日系人の大学教授のフィデル・ヒラタ先生を除いて純粋な日本人は城太郎1人ですしコロンビアではN友さんて言う人だけなんです。

メキシコやコロンビアのビリヤード場は儲かる商売なので屢々(しばしば)武装強盗にタタキをされるんです。

M好さんはケロヨンみたいな面白い顔の人なんですけどポケットビリヤードが専門だからフィリピンに居住したんです。

フィリピンでも何か副業の事業をしてたら別なんですけど20年前の2000年頃だったら円がまだ強かったからフィリピンペソとの貨幣価値の差で年金のお金だけで充分生きて行けたと思うんです。

その時期に海外に移住して日本からの年金で生きる事にした人たちは円安に成っちゃって大変に成っちゃったと思うんです。

メキシコの場合で言いますと中曽根さんが将軍さまをしていた時に10万円が2万2千ペソの価値があったと言う事は既に書きましたけど今のレートを調べたら10万円が1万3千ペソにしか成らないんです。

城太郎が貰える日本の年金と言うのはたぶん14万円くらいだと思うんですけどアベと黒田のせいで凄く少なく成っちゃうみたいです。

(ふざけんなよおっ、アベ!てめえ殺すぞ)って思ったんですけどチンソ・アベは山上さんにタマを取られて既にくたばってるんですけどそれでもムカ付きます。

日本の民百姓衆の皆さまも電気代は上がるわ、全ての物価は上がるわ、五公五民で年貢で半分持ってかれるわ、ですからもう一揆しか無いような気がします。

(写真はネットの人からお借りしました)

秩父困民党事件を題材にした映画『草の乱』です。
緒方直人さん、杉本哲太さん、藤谷美紀さんが出演しました。
(写真はネットの人からお借りしました)

秩父事件(秩父困民党事件)は明治17年(耶蘇教暦1884年)に埼玉県秩父郡の農民と士族が結成した秩父困民党が富国強兵策で国民に重税を課していた松方正義の松方財政に反発して武装蜂起した事件でその後の日本の自由民権運動に大きな影響を与えた事件です。

(写真はネットの人からお借りしました)

金権腐敗政府と悪の財閥を倒して天皇中心の萬民平等社會を作る為に陸軍の革新派将校が率いた部隊と青年将校たちに呼応して茨城県農民決死隊の人たちや茨城県の愛郷塾の人たちが昭和維新断行、尊皇討奸を合言葉に決起した二・二六事件です。

(写真はネットの人からお借りしました)

(写真はネットの人からお借りしました)
五・一五事件、二・二六事件よりも前に社稷を憂いて義憤に燃えて金権腐敗政治家と悪徳財閥と刺し違えて昭和維新の捨て石に成ろうとした茨城県血盟團の人たちです。

(写真はネットの人からお借りしました)

井上準之助に自切りを掛けて井上準之助のタマを取って誅殺した血盟團の菱沼五郎先生です。

今の日本は血盟團事件が起きた昭和恐慌の時ほどでは無いかも知れないんですけど五公五民の年貢を絞られる訳ですから郡上一揆の頃に似ていると思うんです。

一揆とか維新しか無いところまで来ているような気がするんですけど今のおとなしい日本人はいつまで我慢するんですかね?

令和維新の農民一揆を起こす機は熟しました。
やっちゃってください☺️

我慢するなら我慢してもいいんですけど同じ庶民のお年寄りを襲うとかの卑劣な真似は良くないですから行くなら幕府の上の奴らとか日銀の親分を的に掛けて行くべきだと思うんです。

弱きを助け強きを挫くと言う日本人の仁侠精神とか卑怯な真似を嫌う大和魂の精神で行くなら上に行くべきだと思うんです。

米英を相手にしたあの苦しい戦争に負けたあと中曽根さんたちみたいな大正生まれの人で生きて復員した人たちが必死に頑張って日本を再び繁栄させて幸いにも大戦後は日本は再び戦火に巻き込まれる事なく平和な國に成ったと言うのに外国の工作員だの売国奴みたいな連中が日本を沈めて国民を苦しめてるんです。

祖国日本と亜細亜の繁栄を信じて戦陣に斃れて靖國神社に行かれた英霊の人たちに申し訳ないです。
中曽根さんの部下の古田さんもそうだし予科練を志願して特攻隊で亡くなった人たちが小泉や安倍や黒田のやった事を知ったら草葉の陰で泣きます。

今の人たちには戦争の事は関係ないですけど郡上一揆とか秩父事件の事を調べて見てください。

やはり令和維新と言うか民衆蜂起の一揆のような物がそろそろ起きても良い頃だと思うんです。

令和維新の一揆に期待してます。
やっちゃってください。

※写真(3)はメキシコのテレビ局の人からお借りしました。

※写真(4)~(22)はネットの人からお借りしました。