(写真はネットの人からお借りしました)

日本には近頃はかなり少なく成ったんですけどヤクザファンと言うかヤクザに被(かぶ)れてる堅気の人が居るんです。


外国にはそう言う変わった御趣味の人が居ないんですけど日本にはヤクザメイニアみたいな人が居ますから商売として成り立ちますからヤクザ専門ライターの人が居て実話雑誌に連載したり単行本の本を出したりするんです。


外国の麻薬カルテルの人たちはアジトを秘密にしてますし日本のヤクザみたいにマスコミの取材に応じたりしないし、しつこく嗅ぎ回るジャーナリストは殺されますからヤクザジャーナリストなどと言う不思議な職業も無いですしヤクザマニアとか言う変わった趣味の人も居ないんです。


そのヤクザファンとか言う人たちが近頃は少なく成って来たみたいなんです。


ヤクザファンが少なく成った理由と言うのは今はヤクザが高齢化して他の仕事で生きていけないようなジジイたちが尿もれするからパンパースのおむつをしてるようなジジイがヒットマンに成ったりしてVシネマの実録物の映画に絵柄的に成り難いと言う事で近頃は半グレ集団みたいなのを主役にするような映画も出て来た訳ですけどヤクザファンにしてみたらヤクザがカッコ悪く成って来たと言う事だと思うんです。


(写真はネットの人からお借りしました)

映画『仁義なき戦い』が封切られたのは城太郎が中学生の時でしたけど中学のダチと黒のダブルのスーツを着てモデルガンをスーツの下のショルダーホルスターに入れて新宿の昭和館に観に行きました。


城太郎たちはツラがガキだったからあまり問題は無かったんですけど本人の名誉の為に実名報道を避けて1部伏せ字にしますけど同級生のO田と言う奴が中学生なのに40歳代の親父の外見の奴で担任のサト●ビと言う父っちゃん坊主みたいな教師よりも貫禄がある奴だったんです。


担任の佐●のバカは身長が低くてチ●な上に顔も童顔でガキみたいだからO田の息子か年が離れた弟みたいな感じで面白かったんです。


サ●ウは(子どものくせに背広着てんじゃねえ)みたいな感じの奴で面白かったです。


城太郎は喫煙とか夜間徘徊とか言うらしいんですけど六本木とか新宿で補導されたりして父っちゃん坊主のサトチビのバカにしょっちゅう呼び出されてバカのくだらない説教をくらったんですけど自分よりもチ●でツラが童顔で父っちゃん坊主みたいなボンズに説教されても笑えてしまうんですけども笑うと益々バカの説教が長くなるから笑いを堪(こら)えるのが大変で太ももを抓(つね)って笑いを堪えました。😣


城太郎は私服でスーツを着たりして大人に見えるように変装して行って夜中にギロッポンのディスコに行ったりして岡っ引きのお巡りに補導されたりしてたんですけどO田の奴は逆のパターンで登校時に学生服を着て学校に入ろうとしてチャリのお巡りに(怪しい変態の親父が学生服を着て中学校に潜入しようとしている)と思われて職質されて担任のサトチビが呼ばれる騒ぎに成ったりして凄い奴だったんです。😆


学生服の中学生が中年のヤクザみたいな奴で出て来た担任教師が背広着た中学生みたいな奴だから職質した警察官が(何なんだ、こいつら?)みたいな顔をしてサトチビとO田の顔をジロジロ見たりして面白かったです。


(写真はネットの人からお借りしました)

そのO田が黒のスーツに大阪西成のヤートラの赤の段だら模様に花札の雨よろしみたいな絵が書いてある派手なニットシャツの襟を外に出してグラサンを掛けて新宿まで行ったら国○舘高校のツッパリの人たちとか下っ端の準構成員のヤクザは道を開けて近付かないくらいの迫力で本職の組員の人たちにどこそこの組の頭(かしら)と間違えられて挨拶されたりする感じの凄い奴なんですけど新宿駅の近くで案の定チャリの2人組のお巡りにヤクザと間違われて職質されて携帯受令機で護送用のパトカーを呼ばれてマル暴の刑事が来るような大騒ぎに成ったらしいんです。☺️


↑上の写真は『仁義なき戦い広島死闘篇』で大友連合会会長の大友勝利さんを演じた千葉真一さんですけど『O田の叔父貴(オジキ)』ことO田くんは中学生のくせに大友勝利会長そっくりな雰囲気だったので警察官なら絶対職質したくなるようなタイプの凄い人だったんです。😆


こう言う外見の奴はディスコに行こうが煙草を喫おうがパチンコ屋に行こうが競輪場に行こうがルートコで1発出そうが治外法権さまのGHQさまの状態でお咎(とが)め無しですから羨ましかったんです。

※ルートコ👉トルコ風呂(現ソープランド)


昔は堅気の人で板前さんとか築地の市場で働いてる人なんかにヤクザ映画に被れてるような人がけっこう居たんですけど普通の人は映画を観て楽しむだけだから映画に影響されて悪事を働くような人はあまり居なかったんです。


たまに島●紳助さんみたいにヤクザに被(かぶ)れて本当に山口組の幹部の企業舎弟みたいに成ってしまって朱に交われば赤くなって粗暴に成ってしまって虎の威を借る狐みたいな感じで後輩芸人に暴力を振るったりするような人も出て来たりしちゃうんですけど普通の人は映画と現実の世界の違いを知ってますから日本では映画に影響されたりする事はあまり無いみたいなんです。


↑Violencia contra la mujer (ビオレンシア・コントラ・ラ・ムヘール👉女性に対する暴力)と言う事が字幕に書いてあります。

Feminicidio (フェミニシディオ👉女性殺人)に抗議する人たちのデモ行進です。


Feminicidio(フェミニシディオ)ってスペイン語で言うんですけど所謂(いわゆる)女性殺人がメキシコでは近年凄く増えて来たんです。

ヌエボ・レオン州で何者かに誘拐されたのちに強姦されて死体で発見されたデバニー・エスコバルさんです。

デバニーさんと同じ日に何者かに誘拐されて性的暴行を受けたあとに死体で発見されたジョランダ・マルティネスさんです。
ジョランダ・マルティネスさんの事件もヌエボ・レオン州で起きました。

↑ハリスコ州のグアダラハラ市で殺されたキンベルリーさんの死に抗議して正義の実現を要求する人たちの抗議デモです。
※キンバリーさんではなくてキンベルリーさんです。

フェミニシディオ(女性殺人)には2つの型(タイプ)があると城太郎は思うんです。

1つ目の型は見ず知らずの女性に対して性欲を満たす為に強姦をして口封じの為に殺すと言う犯罪及び犯人のタイプです。

女性に対して性欲を抱いてセックスがしたく成るのは自然な事なんですけどナンパして女性が合意してホテルの中で性行為をすれば良い訳です。

堅苦しい人からは女たらしとかナンパ師とか不倫などと言う倫理(モラル)的な批判をされる場合もあるんですけどここではその問題は別にしてナンパして女性合意のもとに性行為をする人は強姦などをする必要が無いですから口封じに殺人の罪を犯す事も無いんです。

昔のメキシコ人は仕事はしないけどナンパは凄くする人が多かったから強姦殺人が今より少なかったと思うんです。
統計のデーターを調べて無いんですけど先ず間違ってないはずです。

近頃はパソコンとかネットなどをして内向的に成ってメキシコ人のくせにナンパが出来ない奴が増えて来て強姦殺人が増えたような気がするんです。
山の手の高級地区のボンズに多いみたいなんですけどメキシコにも陰キャが増えて来たみたいなんです

女にモテない人でセフレが作れなくて性の処理に困る人でも城太郎のお友だちのM輪聡くんみたいに売春婦のお姉さんにお金を払っておセックスさまをさせて貰う人はいいんですけど『ち1号のウチダ』みたいにお金が無くなって性犯罪の罪を犯す奴が出て来ますと社会の敵に成るんです。

もう1つの型は結婚してる夫婦とか内縁の事実婚のカップルが夫婦仲が上手く行かなくて殺人に至ると言うケースでこれは昔から多かったんですけど近頃更に増加して来たと思うんです。

この第2の型はauto estimaが強くて他人を尊重しないわがままでエゴなメキシコ人の民族性に起因していると城太郎は思うんです。

人間関係と言う物に関して他人と協調して調和すると言う概念が無くて勝つか負けるかの勝負で相手に勝って支配して言う事を聞かせようと言う考え方が国民性に成ってるような民族だからこの型の殺人が多いんです。

相手の罪を責める前に先ず自分を反省すると言う事が他人との人間関係を上手く行なう為に必要なことだと城太郎は思うんですけどメキシコ人みたいに甘やかされて育った為にわがままな性格に成った人間はそう言う考えが出来ないから悲劇が起きる訳です。

『Antes de acusar a culpa de otro, hay que reflexionarse (他人の落ち度を責める前に自分を反省しなさい)』と言う事が判って無い人が多いんです。

自尊心と言う物は必要だと城太郎は思うんですけど自己愛とか自己肯定感と言う物は自尊心とは違ってこれが強過ぎる人は傲慢な人間に成ったり自分を否定する者に敵意を抱いて潰そうとして来たりする厄介な性格だと思うんです。
パワハラとかカスハラ(カスタマーハラスメント)なんかもこう言う奴らが起こすんですけど今は女性に対する暴力がテーマですから女性殺人のフェミニシディオの問題に絞ります。

平成の就職氷河期世代と言うのは少ない椅子を取り合って企業に雇って貰う為に自分を売り込む事に長けていると言うか3しか無い物を10に見せて売り込むみたいな性格に品種改良されてしまって嘘を付いて出来る振りをするのか自己肯定感が強すぎるから本当に自分が出来ると勘違いしてしまうのか判らないんですけど城太郎たち昭和世代から見ると知らない事でも知ってる振りをしたり出来ない事でも取り敢えず「出来ます」と言って仕事を請けようとする奴が多い気がするんです。

城太郎なんかはちゃらんぽらんな性格な事を自覚して他の人に助けて貰って生きて来た人間ですから自己肯定感が凄く低いんです。

「すいません、僕自分で出来ないからお願いしますよお」って言っていつも他人様に頼んでますから(この野郎、嫌な奴だ)と思われたら助けていただけないから腰を低くして愛想を良くして生きてるんです。

城太郎たちみたいに自己肯定感が低い方が自己肯定感が強くて自分に変な自信を持っちゃって出来上がってしまう奴らよりも人間関係で問題を起こさないと思うんです。

就職氷河期世代の全員がそう言うタイプじゃないんでしょうけどこの世代の人には自己肯定感が強い奴らが多い気がするんです。

そう言う奴らは自己肯定感が強いからマウントを取りたがる習性があって自分の方が知ってるとか出来ると言う事をアピールしたがって絡んで来たり自分の間違いを指摘されると臍(へそ)を曲げたり相手を恨むみたいな感じで面倒臭い奴が多いんですけどメキシコ人は日本の就職氷河期世代よりも更に自己肯定感と自意識が強いから事件が起きてしまうんです。

日本人でもヤクザ映画を観ても影響されない人が昔は多かったんですけど今は教育破壊のせいで頭が弱い人が多く成ってますから映画とか漫画とかテレビドラマに影響されて事件を起こす奴が増えて来てるみたいなんです。

レゲトンとかヒップホップとかの歌と非行化と犯罪に関係があるのかどうかは良く判らないんですけどレゲトンを聴いても薬物を使用しないで犯罪行為をしない人も居るんですけど薬物を使用するように成って強盗事件でパクられてムショに入る奴も多いんです。

↑ナルシスト歌手のAlejandro Fernández (アレハンドロ・フェルナンデス)さまです。
(写真はネットの人からお借りしました)

このアレハンドロ・フェルナンデスと言う奴は確かに歌は上手いんですけどナルシストで自意識過剰な歌い方をするからメキシコ人の中でも熱烈なファンと大嫌いなアンチの側とに別れてるんです。

城太郎の甥っ子で何年か前に死んだサ●ル先生さまと言うのがラーリゴみたいなツラのくせにナルシストで自意識過剰で女を口説くのは得意なんだけど酒飲みで自意識過剰で自己愛性人格障害の奴だから自分だけを愛して他人を尊敬しない欠陥人間だったんです。

こいつは下町には珍しく高卒の高学歴者だったんです。
アメリカに出稼ぎに行ったから片言の英語(と言ってもTEX-MEXですけど)を話せる事を鼻に掛けて町の人たちをバカにして酔っ払うとケンカを吹っ掛けたりしてたから町中の嫌われ者の鼻つまみ者だったんです。

高卒のくせにちゃんとした就職をしないで『フラネレロ』って言う車両誘導員の仕事をしてメルカードに車で買い物に来る人の車を誘導してチップを貰って酒と麻薬代にして酒飲んで麻薬を打って女を殴ると言う奴だから女が長続きしないで猫の目打線みたいな感じで女のメンツがいつも入れ変わってたんです。

こいつがアレハンドロ・フェルナンデスのファンだったんですけどアレハンドロ・フェルナンデスのファンの奴にはサ●ル大先生さまみたいな奴が多い感じなんです。

ナルシストのアレハンドロ・フェルナンデス大先生さまもサ●ル大先生さまみたいに常に自分が正しくて相手が悪いと思う性格で女を殴ろうが殺そうが自分の方が被害者で正しくて女が悪いと考える性格なのかは良く知らないんですけどもアレハンドロ・フェルナンデス大先生さまがリリースしましたある歌が少し問題な歌だと城太郎は思うんです。

『Matalas(女どもを殺せ)』と言う歌なんです。
曲のタイトルからして酷いと城太郎は思うんです。

『Matalas(女どもを殺せ)』と言う歌が1部の良識ある人間からフェミニシディオの女性殺人を幇助して扇動する歌として批判されてるんです。

良識がある人が少ないから炎上騒ぎとかには成らないと言う点がまたいかにもメキシコなんですけど城太郎的にはこの歌はかなり問題だと思うんです。

歌詞のスペイン語の文章と意訳した日本語の歌詞を書きましたので見てください。↓

Matalas (殺してしまえ) / by Alejandro Fernández 

⦿スペイン語歌詞↓
Amigo que te pasa estas llorando.
Seguro es por desdenes de mujeres.
No hay golpe más mortal para hombres.
Que el llanto y el desprecio de esos seres 

【↓繰り返し※1】
Amigo voy a darte un buen consejo.
Si quieres disfrutar de sus placeres.
Concigue una pistola si es que quieres.
O cómprate una daga si prefieres.
Y vuélvete asecino de mujeres 

(↓繰り返し※2)
Matalas.
Con una sobredosis de ternura Asfixialas con besos y dulzura.
Contagialas de todas tus locuras.

《↓繰り返し※3》
Matalas.
Con flores con canciones no les falles.
Que no hay una mujer en este mundo.
Que pueda resistirse a los detalles.

Despiertalas con una serenata.
Sin ser un día especial llévales flores.
No importa si es la peor de las ingratas.
Que tu no eres un santo sin errores.

【繰り返し※1】
(繰り返し※2)
《繰り返し※3》

(繰り返し※2)
《繰り返し※3》

⦿日本語訳↓
友よ何故泣いている?...
女にバカにされて軽蔑されたんだな...
男に取って女に軽蔑されることほど酷い事は無いよな...

そう言う悪い女どもが居やがるから泣く男たちが存在するんだよ...
友よ...良い助言をしてやる

もしその快感を君が味わいたいのなら...
チャカ(拳銃)を買って来いよ...
あるいは短刀でもいい...

そして女どもを殺す殺し屋になれば良い...
悪い女どもを殺せよ...

君の優しさとキスの甘さであいつらを窒息させて君の狂気の全てをあいつらに移してやれ...

女どもを殺せ...
花とか歌なんかに騙されて失敗するな...
この世に唯1人の大事な女なんて居ないんだよ...
君はその女無しの生活に耐えて行ける...

セレナーデで女どもの目を醒まして起こしてやれ...
別に特別な日じゃなくても花を持って行ってやれ...
その女が恩知らずの糞女の中で1番最悪な女かどうかなんて関係ない...
君は聖人君子じゃないんだ

アミーゴ、俺は君に良い助言をしてやる...

【繰り返し】
(繰り返し)
《繰り返し》

アメリカのカントゥリー・ミュージックにはろくでなしの男に尽くす女をテーマにした歌が多いんですけど逆なパターンの歌もあるんです。

金持ちの男に靡(なび)いて貧乏な恋人を捨てた女と黙って身を引いて金持ちのボンズに女を取られて女に捨てられた男がそれでも陰ながら女の幸福を祈る、みたいな感じの敏いとうとハッピーブルーの永遠の名曲『私祈ってます』の男版みたいな歌もあるんです。

フレディ・フェンダーさんの名曲『涙のしずく』もそうですしアメリカのカントゥリーミュージックの父と言うべきハンク・ウィリアムスさんの不滅の名曲の『マンション・オン・ザ・ヒル』なんかもそう言う路線の歌なんです。

(こいつは女に振られた男だけど振られ方が見事だな、こいつは男だぜ)と言うような感覚がアメリカ人の美学だと思うんです。

メキシコ人の場合は自分を反省しないで相手が悪いと考える国民性だから自分が酒飲みで女に暴力を振るったと言う罪はカウントしないで俺を捨てやがった女が悪いと考える精神構造をしてますから「殺(や)っちまえ」と言う事に成る訳です。

城太郎は歌が持つ力と言うか影響力は大きくて時として人を扇動する場合があると思うんです。

城太郎は右翼民族主義者じゃなくて左翼農本主義者なんですけど日本の軍歌が好きなんです。

↑昭和の白虎隊の陸軍特別幹部候補性学校の人たちの心を歌った『特幹の歌』です。
(写真はネットの人からお借りしました)

↑海軍特別年少兵よりも1年若くて14歳入校で16歳で卒業と同時に実戦配備されて全員特攻隊員として敵艦に体当たりして同胞を助けて靖国神社に行こうとした人たちです。
(写真はネットの人からお借りしました)

↑九三式魚雷を抱いて敵艦に突撃する海軍の九七式艦攻隊の特攻隊の人たちです。
(写真はネットの人からお借りしました)

『予科練の歌(若鷲の歌)』とか『特幹の歌』なんかを聴くと(この人たちどんな気持ちだったのかなあ)って思って城太郎は涙が出て来るんです。
※特幹👉陸軍特別幹部候補生

日本の軍歌には日本人の心の琴線に触れる物がありますから右翼じゃない一般の人でもカラオケで『同期の桜』を歌ったりする人が多いんです。

『健全な軍歌マニア』って言ったら変な言葉かも知れないんですけど城太郎たちは今の平和な時代に『特幹の歌』などを聴いてるんですけど、もしも城太郎があの戦争の時代に生まれていて『予科練の歌』などを国民学校の班の仲間たちと登下校時に歌ってラヂオとか蓄音機で♫命惜しまぬ予科練の〜意気の翼は勝利の翼だとか『特幹の歌』の♫叩く敵陣、矢が尽きりゃ、何の当て身の弾吹雪〜とか♫命捨て身の武者震い、嗚呼、嗚呼、特幹の〜武者震い〜などと言う歌を聴いていたら城太郎も死ぬのが怖く無いような気がして来て(よーし、やってやる)などと思って予科練や少飛(陸軍少年飛行兵学校)に志願して特攻隊で死んでたかも知れないと思うんです。😣

城太郎のお母(おっかあ)は終戦の時に9歳だったんですけども「いつも勇ましい軍歌ばかり聞かされて学校で竹槍訓練をしてたから死ぬ事をみんな恐れてなくて(露助の野郎が来やがったら竹槍で刺し違えてやる、来るなら来て見やがれ)って言うような気持ちに成っていたわよ」って言ってましたけど歌が持つ力と言う物は大きい気がするんです。

アレハンドロ・フェルナンデスの歌の話に戻しますとアレハンドロ・フェルナンデスの奴もこの歌が女性たちに不人気に成ったら困るとか思ってTwitter(トゥイッテル)だとかFace book (フェイス)なんかに「全ての女性たちに愛を込めて」とか何とか女どもに機嫌してヨイショしてアレしてますけどこの歌の影響で女性殺人に踏み切った奴がかなり多いと思うんです。🤔

映画とか歌とか暴力的なテレビゲームに影響されて犯罪を犯す奴が世界中に多いんですけど特にメキシコ人は頭があまり良くない人が多いから『女どもを殺せ』の歌は良くないと1部の良識ある人が問題視してるんですけど良識ある人と言うのが非常にと言うか極端に少なくて人口比で言いますと0.00000001%くらいだから大きなウェーブメントにならないで相変わらず色んな所でこの歌が掛かってるんです。

「人口の0.00000001%しか良識を持った人が居ない」と言う事の意味は悪人が99%居ると言う意味ではなくて難しい問題を考える能力が無いとか興味が無い人たちが多いと言う意味です。

Multimedios TV第6チャンネルの今日のニュースでキャスターのセレニー・イバラさんが交際相手にナイフで滅多刺しにされて殺されたイングリッド・エスカミージャさん殺害事件の犯人のエリック・フランシスコ・ロブレド・ローサスに対して厳罰を要求する人たちが司法に対する抗議集会をした事を報道してました。

『イングリッド・エスカミージャに対する殺害犯人に最大限の厳罰を!』と言う事が垂れ幕に書いてありました。


「娘を殺された母親として犯人を憎むと言う個人的な事だけではなくて女性殺人を無くさせて他のお母さんたちが私のような気持ちに成らないで済む為にも女性殺人を厳罰化して終身刑にして男たちに殺人を思い留まらせる必要があるんです」


結論として話を纏めますと傲慢な人間とか自己肯定感が強い人間は他人との人間関係が上手く出来ない場合が多いと城太郎は思うんです。

そうした人間全員が殺人事件を起こす訳じゃないんですけどストーカー殺人を起こした犯人には自己愛が強いタイプの奴が多いと言う事は言えると思うんです。

それと音楽の歌とか映画とかテレビゲームなどに影響を受けて犯罪を犯す人間が1定数居ると城太郎は思うんです。

このアレハンドロ・フェルナンデスのMatalas(マタラス)の歌はスペイン語を少し囓って勉強してる人なら判ると思うんですけどMatalesではなくて目的語の代名詞を女性代名詞の『las』にしてMatalasと言ってますから単に「人を殺せ」と言ってる歌詞ではなくて「女どもを殺せ」と言っている歌なんです。
『女どもを殺せ』と言う歌なんです。

↑ナルシスト歌手のアレハンドロ・フェルナンデス先生さまです。
¡Matalas ! (女どもを殺せ!)は日本だったら放送禁止🚫に成る歌だと思うんですけどメキシコは野放しの国ですから全然問題に成らないみたいです。
凄い国です😣
(写真はネットの人からお借りしました)

♫女どもを殺せ〜と絶唱するアレハンドロ・フェルナンデスの歌はテレビでも良く放送されます。

※写真(1)~(3)と写真(10)~(13)と写真(20)はネットの人から画像をお借りしました。

※写真(4)と写真(7)~(9)及び写真(14)~(19)と写真(21)はメキシコのテレビ局の人から画像をお借りしました。