日本の皆さま如何お過ごしでせうか?

実を言いますと城太郎はビリヤードが趣味なんです。

それで今回もビリヤード関係のネタのブログを書かせていただきます。
ビリヤードに興味が無い堅気の善良な一般市民の方には退屈だと思うんですけど、(すいませんけど)書かせていただきます。😣
書かせてください😣

ビリヤードと言いますと日本の皆さま方には上の写真みたいにボールを穴に入れるプールと言う種類の競技を思い浮かべる方が多いと思うんです。

この『Pool(プール)』と言う的球を穴(ポケット)に入れるゲームはアメリカと日本とフィリピンと台湾で特に盛んなんですけど欧州と言いますかヨーロッパではキャロムビリヤードこそがビリヤードの王道と言われてるんです。

↑上の写真みたいにテーブルに穴が無くて穴に入れないビリヤードがキャロムビリヤードの競技なんです。
城太郎はプールも時々練習するんですけどキャロムのスリークッションが本業なんです。

上から『ビリヤードの神様』のベルギーのクーレマン選手、フランスのリシャール・ビタリー選手、公式ハイラン世界記録保持者の日本の小森純一先生、『魂のビリヤード』と言われているオランダのリニ・ヴァン・ブラハト先生でその下が謎の失踪を遂げてしまった真野慶彦選手です。

リニ・ヴァン・ブラハト先生を城太郎は尊敬してるんです。

ヴァン・ブラハト先生は世界選手権のタイトルを2回、ヨーロッパ選手権を2回、オランダ国内選手権のタイトルを8回制覇した人でスリークッションビリヤードの歴史の中で名手と呼ばれる人ですけど獲得したタイトルとかの結果の面では無くて事故で片目を失明しても諦めずに必死の練習をして再び世界選手権のタイトルを獲ったと言うビリヤードの道に対するプロセスの部分に人々は敬意を払って『魂のビリヤード』と言われてる人なんです。

↑ビリヤードの神様、ベルギーのレイモン・クーレマン選手です。

記録の上から言いますとスリークッション世界選手権を11連覇してそのあとにまた6連覇したビリヤードの神様のクーレマン選手の方が凄いんです。

クーレマン先生はビリヤードの神様なんですけどヴァン・ブラハト先生は神様じゃなくて人間なんです。
リニ・ヴァン・ブラハト先生は人間が片目を失明したあとに不屈の闘志と必死の努力で再び世界チャンピオンに成った『魂のビリヤード』の人なんです。

ヴァン・ブラハト先生は交通事故で片目を失明したんですけど諦めないで必死の努力と練習をしてハンディを跳ね返して片方の視力だけで再び世界チャンピオンのタイトルを獲得した人なんです。

リニ・ヴァン・ブラハト先生のオランダ撞球道を継承して続く後輩のディック・ヤスパース選手(写真左)とレイモンド・ブルグマン選手(写真右)です。

(写真はネットの人からお借りしました)
若き日のリニ・ヴァン・ブラハト選手です。
この当時は利き目の右目の下にキューが来る構えをしています。

ドイツのフィアセンで行なわれた世界選手権の時に後輩のオランダ選手たちの試合を観に来られたヴァン・ブラハト先生の写真を撮らせていただいたんですけど城太郎は整理整頓が出来なくて箱に全部詰めてるんですけどその時の写真のプリントとかネガがどの箱に入ってるか分からなくて探せないのでWikipedia の人から画像をお借りしました。

外柔内剛の人で本当は凄い努力をした人なんでしょうけどそれを表に出さない感じでダンディって言うかお洒落な人でした。

日本の体育会系的って言うか撞球道の道場みたいな重たい田舎臭さが城太郎は嫌いなんです。

女子スリークッション世界チャンピオンで現在は韓国のLPBのツアーに参戦している肥田織里恵選手です。
(写真はネットの人からお借りしました)

右利きだったのに右手を痛めた為に左手で撞く練習をして左手で撞いて全日本選手権で2位の成績を納めた肥田明選手とか肥田選手の娘さんで女子のスリークッション世界チャンピオンを何度も獲得したあとに網膜剥離の手術をして先日韓国のLPBツアーで日本人として初めて優勝した肥田織里恵さんなんかも同じなんですけど外柔内剛の人で他人に対しては大人しい人たちなんです。

日本のスリークッションのアマチュアのお客さんで何て言うか撞球道場の修行生みたいな人たちって点数のカウントの時なんかも右翼団体とか暴力団事務所とか体育会系の感じのドスが効いた声で「ひとぉぅうつっ!」とか言う声を出すんです。

「はいっ、志賀事務所おっ!」みたいな感じの住吉会系沼澤1家志賀組の事務所当番の人みたいな声を出す人がキャロムビリヤードの方に多いんですけどそう言う重たい変な雰囲気が1般のお客さんを遠ざけて日本のビリヤードが発展しなかった原因の1つだと城太郎は思うんです。

肥田明さんも娘さんの織里恵さんも「はい、1つ」って言う感じの大人しい静かな声でカウントするんです。

Wikipedia で城太郎が調べましたらRini Van Bracht先生は1947年6月1日オランダのWaalwijk生まれと書いてありましたから現在75歳です。


ヴァン・ブラハト先生が24歳の時に祖国オランダのブロニンゲンで開催されました1971年度の世界選手権に初出場して王者クーレマン選手に次いでリニ・ヴァン・ブラハト選手は2位に入賞したんです。


ビリヤードの神様クーレマン選手の世界選手権連覇は記録に拠りますと1963年のフランスのニースの大会から始まったみたいです。


日本選手の成績は1965年オランダのヒルベルサム大会で小方浩也選手が3位、1966年のブエノス・アイレス(アルヘンティナ)で小方選手が4位、1967年のリマ(ペルー)で久保敬三選手が3位、1968年のドイツのデューレンの大会で小方浩也選手が2位に入賞して1969年の東京大会で2位に小方選手、4位に小林伸明選手が入賞、1970年のラス・ベガス大会(米国)で2位に小林伸明選手、3位に小森純一選手、5位に樫木繁樹選手が入賞して1971年のブロニンゲン大会で5位に樫木選手が入賞したんですけどその間ずっと優勝者はベルギーのクーレマン選手だった訳です。


樫木繁樹先生の流派からは島田選手、毛利選手などが出ています。

島田さんはアミーゴと言うお店に勤務してたんですけどルパンと言う自分のお店を経営するように成ってそのあとにプロになる森谷選手がアマチュア時代にルパンのお客さんだったので森谷さんも樫木門下生と言う事に成るみたいです。

このグループの人たちは理論派の流派の人たちだそうです。


1974年のベルギーのアントワープ大会で日本の小林伸明選手が遂に王者クーレマンを倒して世界チャンピオンに成るんですけど今回のテーマとは違いますからここでは書かない事にして飛ばしまして1981年のエジプトのカイロの大会でルド・ディリス選手が優勝して翌年の1982年にエクアドルのグアジャキルで開催されたスリークッション世界選手権でヴァン・ブラハト先生が優勝したんです。


今の15点セットマッチのトーナメント方式と違って当時の世界選手権は50点ゲームの総当たりのリーグ戦のラウンドロビン方式だったらしいんです。

吉原良男選手が先に試合を終えてヴァン・ブラハト選手の最終戦の結果待ちだったらしいんです。


リニ・ヴァン・ブラハト選手の最終戦の相手は当時はまだ新人で世界選手権初出場の新井選手だったんですけど新井選手が引き分けでも吉原選手が世界チャンピオンに成れると言う状況でヴァン・ブラハト選手は新井選手にかなりの点差を付けて勝って世界チャンピオンに成ったんです。

ヴァン・ブラハト先生は球際に強くて勝負際に強いと言うか勝負強いタイプの人なんです。


アマチュアスリークッションの全日本王者の宇佐美さんは肥田さんのビリヤード場のキャノンのお客さんだったんですけども「右腕を故障して左撞きに変えてから宇佐美さんのレベルに追い付くのに1年掛かった」と言うような事をビリヤード雑誌のインタビューに答えて肥田明プロが言ってました。


城太郎たちのレベルから見たら宇佐美さんとか本松さんとかの全日本チャンピオンのレベルと言うのは雲の上と言うか排気量が違うんです。


ヤマハのRZ250とカワサキのZ1100エディローソンレプリカの排気量の違いみたいな感じで物凄い人たちですから左手にスイッチして宇佐美さんのレベルに1年で追いついた肥田さんも凄いんですけど目の障害ではないからまだ何とか成ったんだと思うんです。


人間の目には利き目とサポートする補助の目と言うのがあって通常は利き目の下にキューが来るように構えるんですけど左右の目で焦点距離を合わせてますから片目が見えなく成ると言う事は大変なハンディに成る訳です。

距離の判定が上手く出来ない他に球の厚さも狂うんです。


ヴァン・ブラハト先生の試合のビデオ動画と言う物が意外と少ないんですけども城太郎はリニ・ヴァン・ブラハト先生の地元のオランダで行なわれたBWAワールドカップグランプリの決勝で名手クードロン選手を3対1で下してヴァン・ブラハト先生が優勝するビデオを持ってるんです。


これはオランダのテレビ放送の録画ビデオなんですけどマニア同士のトレードで城太郎はこのビデオを手に入れたんですけどこのビデオを見ますとヴァン・ブラハト先生は片目が見えない為に球触りをしないようにする為に準備ストロークの時にあまりキュー先を手球に近づけないようにしてるんですけどキュー出しが物凄く水平で真っ直ぐに出てるんです。


撞いた手球が第2的球に向かう道中で手球と第1的球が衝突したりあるいは先球(第1的球)と第2的球が衝突する事を日本のビリヤード用語で『キス』と言ってスペイン語では『choque(チョケ👉衝突)』と言うんですけどプールビリヤードみたいにテーブルに穴が無くて先球が消えない為にキャロムビリヤードではキスを躱(かわ)さないといけないんです。


手球が計算通りに走って第2的球に向かっていても第1的球が手球にぶつかってしまうと得点を邪魔してしまいますからキスを躱す『読み』と言う事が必要に成るんです。

方向性で躱したり手球と先球に時間差を付けて躱す撞き方をしたりするんです。


城太郎如きが世界チャンピオンを獲得した人の球の技術的な事を解説したりする事はおこがましいと言いますか百年早いんですけどこのビデオを見てましたら城太郎が見ても(これはキスしたな)と思った球が3回あったんですけどギリギリのタイミングでキスが替わってヴァン・ブラハト先生は球を当てたあとに連続得点してるんです。


ヴァン・ブラハト先生がキスの躱しをギリギリで読み切っていたのかも知れないんですけども、(もしかしたら読み間違った球がギリギリでキスしないで替わったのかも知れない)と城太郎は思ったんです。


ビリヤードの神様が苦労して必死に努力して来た人の球に味方したみたいな気がしたんです。


たぶん片目が見えない為に微妙な厚さが狂ってキスのコースに成ったと思うんですけど球が当たったあとにヴァン・ブラハト先生は(良しっ!)って言う気持ちに成って連続得点に持って行った感じでした。


手球が先球に当たる重なり具合を『厚さ』って言うんですけどスリークッションの場合はプール(ポケットビリヤード)ほどは厚さの正確性が要求されないと言う事もあると思うんです。


もしヴァン・ブラハト先生がプールビリヤードの選手だったらたぶんカムバック出来なかったような気がするんですけどキャロムビリヤードの選手だったから再び世界チャンピオンに成る事が出来たと思うんです。


いくらキャロムビリヤードがプールビリヤードほどは厚さの正確性が要求されないと言っても片目で球を撞くと言うのは大変なハンディだと思うんです。


ヴァン・ブラハト先生が実際に見た場所に撞いたら厚さが違ってるはずなんです。

だから以前に両目が見えていた時だったらこの辺に当たるだろうと言う場所が片目で見た時にどの辺の厚さなのかと言う補正値を掴む為に物凄い練習をしたと思うんです。


そして1993年にデンマークのオールボーで行なわれた世界選手権で再び世界チャンピオンに成ったんです。


畏(おそ)れ慎む撞球道、魂のビリヤードって言う感じなんですけどリニ・ヴァン・ブラハト先生を城太郎は尊敬してるんです。


↑ヴァン・ブラハト先生にサインしていただいたキューです。

ヴァン・ブラハト先生は現在は故郷のWaalwijk でビリヤード用品やスポーツ用品を販売する商売をなさってます。


リニ・ヴァン・ブラハト先生の事を思い出しますと城太郎はビセンテって言う城太郎のダチの事を思い出すんです。


ビセンテは今プロに成ってるエドゥワルドとかサルバドル・チャバたちと大体互角くらいのアベレージでプロ並みに球が上手いんですけど『ろくでなし』って言うかいつもふざけていて凄く『ろくでなし』的な冗談を言って人を笑わせる奴なんです。


城太郎がビセンテとかロベルトとかマリオとかの連中と喫煙所の方でみんなで休んでいた時に『ビリヤードのプロ選手で誰が好きか?』と言うテーマに成ったんです。

みんなクーレマンとかブロムダールとか言ってる訳です。


「Oye Chucho ,¿Quién es tu ídolo de maestro de billar ?(おい、チュチョ、お前は誰が好きなんだよ?)」ってロベルトが訊いて来たから城太郎は答えたんです。


「 Mi ídolo es gran maestro Rini Van Bracht ... Billar de espíritu , maestro Van Bracht .(俺はヴァン・ブラハト先生だな...魂のビリヤードの人だ)」って言ったんですけどメキシコ人たちはヴァン・ブラハト先生の事を知らないんです。

「¿Quien es Van Bracht? (ヴァン・ブラハトって誰だ?)」とか言ってるんです。


「Maestro Van Bracht ganó campeon del mundo de 81 de Ecuador ,pero luego perdió la vista de un ojo por accidente del trágico ,pero no abandonó... después de entrenamiento de mucho tiempo otra vez ganó campeon del mundo de 93.(ヴァン・ブラハト先生は81年にエクアドルで行なわれた世界選手権で勝って世界チャンピオンに成ったんだけど交通事故で片目の視力を失ってしまったんだ、でも諦めないで物凄い練習をしたあとに93年に再び世界チャンピオンに成った人だ)」と言うような事を城太郎が教えてあげたんです。


「¡Que gran hombre !...Billar de espíritu...(偉大な人だな、魂のビリヤードか...)」

などとロベルトとかマリオも感心してたんです。


そしたらcabron (カブロン👉ろくでなし)のビセンテの奴が

「...Yo también conozco un señor que perdió un...(俺も...を失ったセニョールを知ってるぜ)」とか言い出したんです。


日本語と語順が違うからギャグに成るんですけどun(ウン)のあとにbrazo(腕)とかdedo (指)とかの男性名詞が来るんです。

perdió un brazo(腕を失った人)の事かな🤔などと真面目な気持ちでみんなに想像させておいてろくでなしのビセンテの奴は...


「....Un señor que perdió un... testículo (その人は金玉を1つ失ったんだよ)」とか抜かしたからみんな吹き出したんです。


「¡Que desgraciado cabron, pinche Vicente !👉このろくでなしのビセンテが(ビリヤードに関係ねえじゃねえかよ)」とか真面目なロベルトが言ったんです。


ビセンテの奴はいつも即興で面白い事を言うので城太郎はビセンテの球の技術の他にギャグのセンスも勉強したんです。


『爆笑問題』の太田光さんの相方の田中さんも睾丸を1個切除したそうですけどビリヤードには関係ないんです。

でもカブロンのビセンテの奴は「睾丸が1つ無くなったら体の重心が狂うからビリヤードのフォームがぐらつくから大変なハンディに成る」とか言ってました。


※写真(8)(9)はネットの人からお借りしました。