「八っつあん...M橋の野郎は八王子のこのビリヤード場に潜り込んでやがったんだな...」
「うん...店主の親父さん、真面目そうな人だから騙されてたんだなあ...」
(写真はネットの人からお借りしました😣)


...この事件が起きた時に城太郎は日本にいたんです。


2001年のアキタ・ワールド・ゲームスのビリヤードのキャロムスリークッション決勝はスペインのダニー・サンチェ選手対オランダのディック・ヤスパース選手だったんですけどテーブルコンディションがグダグダでシステムプレイヤーのヤスパース選手は当たらなくてダニエル・サンチェ選手が優勝したんです。


しかしベストバウトは実は準決勝のダニエル・サンチェ(西)対ラモン・ロドリゲス(秘)の試合だったと城太郎的には思うんです。🤔


40点ゲームを40点で上がった時にアベレージが1に成るんですけどグランドアベレージは全ゲームトータルの数字なのでグラアベで1点以上と言うのはアマチュアにとっては一生掛かっても到達しない数字なんですけど世界チャンピオンのヤスパース選手がグラアベ1.0と言うのはヤスパース選手にしてはあり得ないくらい低い数字なんです。


この人たちのレベルと言うのはグラアベが1.6とか1.7と言う次元の世界なんです。

城太郎たちのレベルからしましたら神の領域のアベレージなんです。


ですからヤスパース選手が試合で1.0のアベレージと言うのはあり得ない事なんです。


ヤスパース選手はアベレージが1点そこそこしか出てなかったんです。


※(西)👉西班牙(スペイン)🤔

※(秘)👉秘露(ペルー)🤔


ラモン・ロドリゲス選手です。
(↑写真はペルー政府さまからお借りしました☺️)

何でテーブルコンディションがグダグダだったかと言うと湿気のせいでメチャクチャ詰まる台に成ってしまったそうなんです。

テーブルの設置をした田口さんが「あんな海の近くでビリヤードの試合をするのが駄目だよ、ワンモアでロドリゲスが二重廻しの球を土手違いさせて負けたけどテーブルが詰まるから隅一杯に入れようとしたんだろうな、あのクラスの選手がああ言うミスは絶対しないよ、テーブルのせいだよ、あの土手違いが無かったらロドリゲスが優勝してたよ、サンチェスは追い上げられてから全然当たらなく成ってたからロドリゲスが決勝に行ってシステムプレイヤーのヤスパースはテーブルのせいで壊れてたからロドリゲスが勝って優勝してただろうなあ...」って言ってました。

ロドリゲス選手は新井選手との試合もそうだったんですけど序盤に大量にリードされて驚異の追い上げで逆転して捲(まく)ると言う捲り体質なんです。

序盤にサンチェ30−10ロドリゲスで20点リードされた所から当て出してロドリゲス39-37サンチェと先にワンモアにしたんですけどもゲームボールの2重廻しを痛恨の土手違いをして命拾いしたサンチェ選手に残り3点を取られて負けたんです。
城太郎はこの試合がベストバウトだったと思います。

キャロムの試合は甲斐プロと城太郎の師匠の竹●プロと秋田県アマ連の夏井さんて言う人が審判をしたんですけど城太郎の師匠のT島プロも「あの試合がベストバウトでしたね、あの土手違いが無かったらラモンが優勝してたと僕も思いますよ、ヤスパースは当たってなかったから決勝でもラモンが勝って優勝してたと思いますよ」って言ってました。

城太郎がペルーに行った時にラモン・ロドリゲス選手に聞いたらラモン・ロドリゲス選手は姉ちゃんと日本に出稼ぎに行って2人で新宿や池袋の駅前で歌を歌ってたらしいんです。

スペイン語で『コンドルは飛んで行く』を歌ったり日本語で『北国の春』を歌ったりしてたらしいんです。
城太郎はカセットテープを貰ったんですけどラモンの姉ちゃんの『北国の春』が高い澄んだ声で凄く良かったです。

それでラモンは新大久保のビリヤード小林に通って日本のビリヤード場でスリークッションを覚えたらしいんです。
そのあと名古屋のビリヤード場に行ったらしいんですけど8点の持ち点で始めて1年くらいで35点に成ったそうなんです。

そのあとペルーに帰ってビリヤードで身を立てる決意をして数年後に遂にペルーのチャンピオンに成って国際試合に出るクラスの選手に成ったらしいんです。

(写真はネットの人からお借りしました)

球を狙う時は厳しい表情なんですけどこう言う場面は(まあ誰でもそうなんですけど)表情が緩みます。 

今ではペルーの英雄みたいに成ったラモンですけど日本に出稼ぎに行って街頭で歌を唄って狭い日本の安アパートに姉と2人で住んで明星チャルメラの袋麺のラーメンを食べたりパン屋さんで貰ってきた食パンの耳を食べたりして苦労した時代があったんです。

何点リードされても勝負を諦めないで冷静に分析して修正してハイランで追いついて捲くる勝負強さをロドリゲス選手が持っているのはそう言った下積み時代に苦労した事が出てるような気がするんです。
※high run(ハイラン)👉ビリヤード用語で『連続得点』の事です。

ゼロを続けて点差が離されて行っても自分のストロークを崩さないで我慢する事が出来るから当たり出した時に逆転出来るんだと思うんです。

まあこのラモンも太い根性をしてるんですけど話が横道に行くとまた長くなるからそれは別な機会にします。

...当時ビリヤードチャン●オンのお客さんで婦人服のお店を経営している須藤さんて言う人が『モラビア』って言うキューティップを作って町田さんが販売を引き受けて有限会社Aショ●トって言う会社を作ってタップを売っていたんです...

プールビリヤード世界チャンピオンのイスマエル・パエスさんです。
(写真はAz billiard さんからお借りしました)

2001年アキタ・ワールドゲームスでイスマエル・パエスが試合直前に倒れて救急車で病院に運ばれたんです。
メキシコ人のプール世界チャンピオンのイスマエル・パエス選手が心臓発作だか脳卒中だかで試合直前に倒れて日本の病院で手術を受けて命を取り留めたと言う事件があったんです。

アメリカの女子世界チャンピオンのジャネット・リー選手が日本のファンに呼び掛けて日本のビリヤードファンの人たちからのカンパのお金が集まったんです。

その件に関して外国の人にお世話に成るばかりでは良くないからメキシコ合州国のスポーツ省からお金を出して手術代や入院費を払ってあげてくれないかと言うような事をメキシコ領事に話をする為に城太郎が引率して団長のヘス●スGと選手のヘスース・ララとルイス・ミゲル・アビラを連れて赤坂見附のメキシコ領事館に行ったんです。

そのあと団長さまのヘ●ースGとサカテカ人のヘスース・ララ以外の人間は直(ちょく)に帰国するので成田まで引率して飛行機に載せたんです。

Gとララの2人はモラビアタップをメキシコで売りたいのでセニョール・マチダと値段等に付いて話がしたいと言う事で帰国を遅らせたんです。
 
この団長のGの奴がパエスやララにカマシまくってナチュラルで太い奴だったんですけどその話も横道なので別な機会に書きます。

小森先生がラモンの奴にカマされまくった話とかパエスとララとアビラがGの奴にカマされまくった話などは別な機会に書きます。
ラモン・ロドリゲスもかなり太い奴なんです。😣

シーメ代とか茶っぱ代なんかはメキシコビリヤード協会の金から出て城太郎の分も出してくれてたんですけど通訳代などの日当のギャラ無しで城太郎は友情で動いてあげてたから...(まだ何かあんのけよ?アアッ?😡)って言う気持ちだったんですけども仕方ないから八王子まで城太郎が連れて行ったんです。

ビリヤードチャ●ピオンの住所と電話番号を紙に書いて八王子に行ったんです。
電話を掛けて店への行き方を訊いたんですけど新宿のゴールデン街的なゴチャゴチャした所だから迷って中々着かないからまた電話を掛けたんです。

「それでは僕の弟子の高橋と言う者に迎えに行かせますよ、近くに目印に成る物は何がありますか?」と町田さんが訊いたので近所の店屋の看板などの特徴を告げたんです。

高橋さんと面識が無いのでこちら側の人相風体を告げて待ったんです。
ララが球を撞くつもりでキューケースを持って来てたのでその事を告げて待ってたらすぐに高橋くんが来たんです。

ヘスース・ララはサイギナール選手に40−20のダブルスコアで勝ったんですけど球が凄く好きな男なんです。
その習性を利用してGの奴が策略を巡らせてララを店のお客さんと球を撞かせて店に置き去りにしてその隙に俺たち2人とセニョールマチタだけで近所の喫茶店で商談をすると言う絵を描きやがって城太郎に協力を要請したんです。

このGの奴がナチュラルに太い奴だからパエスとララがカマされまくったんですけどその話も別な機会にして話を端折って取り敢えずヘスースGとララも帰国する事に成って成田空港に城太郎は連れて行ってやっと城太郎の任務が終わったんです。

城太郎の方は昔から町田選手の事を知っていたんですけどヒカリにいた時は城太郎は低点者用の隅の方のテーブルにいたから町田さんと話をした事がなかったんですけど今回初めて町田さんと話が出来てのちにプロに成る高橋くんとも知り逢えたからアーティスティックの曲球を少し教えて貰おうと思ってそのあと何回かビリヤードチャ●ピオンに通ったんです。

町田さんのお店にはマッセを練習出来るアーティスティック用の練習台があるから直樹くんなんかもかなり練習に通ったらしいんです。

...それで城太郎が当時ホームのお店にしていた南阿佐ヶ谷の鈴木プロのお店に戻って城太郎の師匠のT島プロとかボーイさんの福ちゃん(福本くん)たちに「城太郎は八王子でマッセの練習して来ました☺️」とか言う話をしたんです。

「ボーイさんでM橋って言う面白い奴がいたんだよ」って城太郎が言ったら竹●さんは...
「三●?もしかして岩手のM橋ですか?🤔」って訊いて来たんです...

「そう、そう、岩手のM橋...同じ岩手でも大人しい高橋くんと全然違うんだよ、岩手でもああ言う奴が居るんだね...」
...って城太郎が答えたらT島さんは真面目な表情をして...

「町田さんとこに潜り込んだのか...町田さんも良くあいつを雇いましたねえ...町田さん、あの事件を知らなかったのかなあ...」
とか言ってるんです...
M橋の奴は他の場所でも事件をやらかしてたらしいんです...

(写真はネットの人からお借りしました)

第2部までで終わると思ったんですけど終わらなかったので第3部に続きます。😣

まあ言い訳じゃないんですけど比較的静かに進行させておいて次回で強烈にカマすと言う方が『起承転結的』に考えたら良いと言う気もしたんです。🤔

↑アーティスティックビリヤード世界選手権の時の写真です。
この写真の中のどこかに被害者の町●正プロがいます。

フィルムカメラで撮った写真を携帯電話のカメラで複写したので不鮮明な写真なんですけど今回のネタの内容的にM田正プロの写真を出しにくい感じに成ってますので不鮮明な写真の方が逆に良い感じがしました。😣

「次のニュースをお伝えします。城太郎さんのブログは第3部に続くそうです、城太郎さんが無計画な為に第2部で終わらなかったそうです....」

第2部(完)
第3部に続きます、押忍っ!😆

※写真(1)~(5)はネットの人からお借りしました。

※写真(7)はメキシコのテレビ局の人から画像をお借りしました。

※『M橋事件』を次回で終わらせてから『ビリヤードに関するスペイン語(改訂版)』を少しずつ書いて行く予定です。