『路上生活者』って言うよりも『ホームレスピープル』って言う方がお洒落に聴こえると僕は思うんです。

『借金』よりも『キャッシング😆』みたいな感じで横文字にするとお洒落な感じに成るんです。


実態は変わらないんですけどもイメージ的にお洒落な感じに成りますからカミングアウトする場合に言い易く成るんです。


moco(モコ)って言うのは何かと言うとスペイン語で『鼻クソ』の意味なんです...

『うんこ』が『popo(ポポ)』で『おしっこ』は『pipi(ピピ)』って言うんです。


実を言いますと僕はモコがすぐ溜まって鼻が詰まるんです。

(くひゃあ、カミングアウトしちゃいましたあ😆)


前のブログに度々書いてるんですけど僕は政治的には中道左派くらいの位置なんです。


共産主義とか社会主義的なアカじゃ無いんですけど何て言うか平民主義とか庶民主義的な考えなんです。


ですから反体制派で金権腐敗の政治家と悪徳企業や財閥を糾弾する立場ですから左の翼的な人間にも見られるんですけども僕は靖国神社に御参りに行くんです。


弱いパレスチナの人たちに助太刀する為に敵の本陣のイスラエルのドット空港(テル・アビブ空港)にたった3人で斬り込みを掛けた日本赤軍の奥平剛士さんや安田安之さんを僕は尊敬してるんです。


そう言う事を言うと右の人たちからは僕がアカの左翼に見えるかも知れないんですけど僕は左翼でもないんです。


僕の仁義道の観点から見ますと『パレスチナの大義』と言う物は完全に100%正しいと僕は思うんです。

イスラエルの国土はパレスチナの人たちの土地を分捕った物ですからパレスチナの人たちに大義があると僕は思うんです。


歴史認識が違う人と論争をする気は無いんですけど僕のブログですから僕の好きなように書かせていただきますと僕は支那事変には日本に大義は無かったと思うんです。

この考え方は右の翼の人たちからは批判されると思うんですけども支那事変は大義も無いし戦う必要が無い無益の戦(いくさ)だったと僕は思うんです。

支那事変は日露戦争のような自存自衛の為の戦役では無かったと僕は思う立場です。


近衛文麿と蒋介石と毛沢東が悪くて日支両軍が全面戦争に成ってしまって戦わなくても良かった戦(いくさ)を戦って泥沼の戦争に成ってしまったと僕は思うんです。


盧溝橋事件は毛沢東の共産ゲリラの工作員が日支両軍に発砲して日本軍と蒋介石軍に互いに相手から発砲されたと思わせて戦闘状態に入ってしまった訳で毛沢東の罠に日支両軍がハマったのだ、と言う説を僕は支持してます。


亜細亜の1員として大東亜共栄圏を日本と一緒に作ろうとしないでアメリカの側に付いた蒋介石も悪いと僕は思うんですけど普通に考えたら相手の国の中で戦争をした訳ですから日本には大義が無かったと僕は思うんです。


日本の軍部も蒋介石も互いに停戦を望んでいたのにナチスドイツのヒトラー総統に心酔していて国家社会主義者で軍国主義者の近衛文麿が纏まり掛けた停戦協定を悉(ことごと)く潰して『暴支膺懲』を叫んで支那事変を泥沼化させたんです。


支那事変がアメリカに日本の首を絞める口実を与えて首を絞められた日本が対英米戦争に突入する事に成った訳ですから近衛文麿の罪は東條英機の罪よりも重いと思うんです。


支那事変は日本に大義が無かった戦争だと僕は思うんですけども英米を相手にした対英米戦争に関しては僕は日本に大義があったと考える立場です。


この事に関しては左の翼の人から見たら僕が反動主義者の右翼に見えるかも知れないんですけども僕は亜細亜を植民地支配していた米英蘭仏には大義が無かったと考えます。


日本は資源がありませんから対日禁輸で首を絞められたから自力で南方資源を取りに行ったと言う日本の事情もあるんですけども亜細亜植民地解放と亜細亜十億同胞共存共栄の大東亜共栄圏の大義の為に日本が戦った事も事実だと僕は思うんです。


マレー、シンガポール、香港、ビルマ、インドとボルネオはイギリスの植民地でしたし、ヴィエッナン、ラオス、カンボジアはフランスの植民地でした。

インドネシアがオランダの植民地でフィリピンがアメリカの植民地でニューギニアがオーストラリアの植民地だったんです。


日本はそれらの國から白人を追い払って植民地の國の人たちを独立させたんです。


海軍が真珠湾を叩いてしまったから米国を参戦させてしまった訳です。

歴史にif (イフ)は無いんですけどアメリカはモンロー主義だったから日本海軍がハワイの真珠湾をやらなければ参戦して来なかったような気が僕はするんです。


まあ、やっちまったモンは仕方無いんですけど金持ちのアメリカが出て来た為に日本は負け戦の状況に成って来て人種差別主義者で好戦民族のアメリカは日本人を皆殺しにしようとしたんです。


つまり日本民族が滅びるかどうかの瀬戸際の戦いに成った訳です。


軍国主義者でも何でもない普通の庶民の人たちが祖国危急の秋(とき)に銃を執って出征して戦陣に斃れた訳ですから僕は右翼民族派じゃないんですけど靖国神社に御参りに行くんです。


僕は右翼とかネトウヨ系の人間じゃないんですけど日本の軍歌が好きなんです。

軍歌を聴くと涙が出て来るんです。

(この人たち、どんな気持ちだったのかなあ)って考えると涙が出て来るんです。


昔から僕はどちらかと言うと涙脆い性格だったんですけど年を取ったら凄くそれが進んで凄く涙脆く成っちゃったんです。


「♫遠く祖国を離れ来てしみじみ知った祖国愛」って言う1節が『麦と兵隊』の歌の中にあるんですけど右翼化、右傾化するかどうかは別としても「外国に長く住むと愛国者に成る」と言う話は本当だと僕は思うんです。


祖国日本を離れて外国に長く住んでると日本の歌が恋しく成るんです。


普段はイルカさんの『なごり雪』とか渚ゆう子さんの『京都慕情』とかを聴いてる時には少ししんみりする程度ですから問題は無いんです。


僕も年を取って涙脆さが酷く成ってますから軍歌を聴くのはまずいんですけども日本人の心の歌ですから聴くんです。


島倉千代子さんの歌唱版の『九段の母』だとか鶴田浩二さんの『戦友(とも)よ安らかに』とか三鷹淳さんの歌唱版の『戦友の遺骨を抱いて』などを聴きますと半端じゃないくらいに涙が出て大泣きさせられちゃうんです。


それで僕はしょっちゅう泣いてますから鼻水が凄く出るんですけども鼻をかんで目の涙を拭いても鼻の中が濡れてる状態なのでモコ(鼻くそ)が凄く溜まって鼻の中にいつも鼻クソが詰まったような状態なんです。


若い時はそんなに鼻が広がってなくて鼻が細いって言うほどでも無かったんですけど松本零士さんの『男おいどん』みたいな鼻が広がってる感じでもなかったんです。


僕は野球帽をいつも被るようにしてるから髪の毛を気にしないで済むからあまり鏡を見ないんです。

髭(ひげ)も電気カミソリで剃る派だしコロナの時代でマスクをするから剃り残ししても大丈夫だから鏡を見ないで適当に剃るのであまり鏡を見ないんです。


けっこう前なんですけど久し振りに鏡を見たら鼻が凄く大きく成って広がってたんです。

まあ、成っちゃったモンは仕方無いですけど今の状態で食い止めたいなって思ってるんですけど少し悲しい感じです。


松本零士さんの漫画に出て来る丸い眼鏡を掛けて鼻が凄く広がってる親父みたいな顔にはなりたくないんです。


今はコロナの時代だからマスクで鼻の中のモコを隠せるからいいんですけどコロナの時代が終わったらいつも鼻の中に鼻クソが1杯詰まってるのが人にバレるから(僕、どうしよう?🤔)って言う心配があるんです。


(コロナの病気は5年や10年では収まらないだろう)と僕は考えて少し気が楽に成ってるんです。


コロナの病気が僕は怖いんですけど鼻クソの事を考えたらコロナに収束して貰いたくないと言う気持ちもあって複雑な心境なんです...


僕は自分が強制されるのが嫌いだったから娘にも孫にも強制しないで自由にさせてるんです。

コイツラはマスクしないで外を歩くし家に帰って来た時にも手を洗わないんです。


僕はコロナが怖いんです。


娘や孫がマスクをしないでコロナに罹るのはコイツラの自由なんですけど僕に感染させて道連れにする自由はないんです。

死ぬなら自分たちだけで死んで貰いたいんです。


これは軍の重要機密事項なんですけど僕が家の中でマスクをしてるのはコロナが怖い事もあるんですけど鼻のモコを隠す為にしてると言う意味合いもあるんです。


孫たちにバレたら写真を盗み撮りされてWhatsAppでダチとか知り合いの奴らにお宝画像をバラ撒かれてバカにされちゃうんです。

「僕のじいじは鼻クソじじいなんでい〜す」とか書かれて写真をバラ撒かれたらヤバいんです。


だから僕は鼻の中のモコを隠す為にマスクを外さないで素顔を見せない覆面レスラーみたいにしてるんです。


※写真(1)~(12)はYouTubeの人からお借りしました。


※写真(13)~(15)はテレビの画面を携帯電話のカメラで撮った物です。

元の映像の著作権者はテレビ局の人ですからテレビ局の人から画像をお借りしました。


二葉百合子さんの『九段の母』です。
年老いた母親が靖国神社に祀られている息子に会う為に田舎から汽車で上京して来て杖を着きながら上野駅から九段の靖国神社に向かう話です。
田舎の人だから東京の地理が良く分からなくて迷うんですけど不自由な体で必死に成って九段の靖国神社に向かうんです。

この人の息子さんもこのお母さんも右翼の軍国主義者じゃなくて普通の庶民なんです。
僕はどっちかって言うと左の人間ですけどこの母親の気持ちを考えたら人として泣きます。
涙が出ます。

庶民の人たちが犠牲に成って政府や軍部の偉い人たちは自決して責任を取らずにのうのうと生き延びた恥知らずが多いんです。

多くの日本男児が出征して故郷の駅をあとにして2度と還りませんでした。
この息子さんに会う為に母親が靖国神社に行く話です。

息子が命と引き換えに貰った勲章を靖国神社に居る息子さんに見せる為に年老いた母親が汽車に乗って田舎から出て来たんです。

逢いに来たぞや、九段坂...

『特幹の歌』です。
『特幹』と言うのは陸軍特別幹部候補生の略です。

14歳入校、16歳実戦配備の学校で海軍特別年少兵より1年若い16歳で全員特攻隊員に成る為に志願した人たちです。

航空は福岡県大刀洗、船舶工兵が広島県宇品で訓練を受けました。 
日本が負け戦の局面に入ってから出来た学校ですから船舶工兵もモーターボートの四式肉迫攻撃艇で体当たりする部隊でしたから航空も船舶工兵も全員特攻隊としての訓練を受けてました。

「我が特幹校は全軍特攻!最後の1機、最後の1隻まで全員敵と刺し違える!見敵必戦!不惜身命お〜っ!!  分かったかあ〜っ?」
「はいっ!」
「声があ〜小さ〜いっ!!」
「は〜いっ!!!!」

このビデオは実際の特幹校の当時のフィルムを使ってます。
生徒の顔が若いです。
涙が出て来ます。

特幹校の1期生の卒業予定と実戦配備が昭和21年の4月でしたからこの少年たちは死なずに済んだんですけど、もし戦争が長引いていたら大和の水上特攻作戦の時に17歳で死んだ海軍特年兵の人たちよりも若い16歳の人たちが大量に戦死したはずです。

春の嵐に桜の花が散るように特幹生たちが特攻隊で死んだはずなんです。
咲く前の蕾(つぼみ)のまま散って靖国神社に行こうとした特幹の人たちの心を思うと涙が出て来ます。

アメリカ軍が銃後の国民まで爆撃して日本民族を皆殺しにする気だと言う事に気付いて同胞を救う為に親が寝てる隙に志願書に箪笥の中の印鑑を押して志願して広島県宇品に駆け付けた人たちです。

今で言えば中学生の少年たちが自分たちが死ぬ事で同胞を助ける為に志願したんです。
昭和の白虎隊の人たちです。
その人たちの心を思うと涙が出て来ます。

『特幹の歌』は僕は春日八郎さんの歌唱版が好きです。
前奏の部分から涙が出ます。
勇ましいメロディの歌なんですけどそれが逆に特幹の人たちの健気さと悲壮さを想わせて泣かせられる歌です。

四式肉迫攻撃艇です。

金属資材を節約する為と重量を軽くして速度を出す為にベニヤ材などの軽量の木材で作ったモーターボートで防御装甲が無い為に.50口径の機銃弾でも撃沈されてしまうし低速のモーターボートですから敵艦と刺し違える事すら難しかったみたいです。

時速560kmの零戦の特攻隊でも敵の輪形陣からレーダー射撃して来る弾幕を突破出来ない状況でしたから低速のモーターボートでは勝算が殆ど無いですから人海戦術で100隻が横1線に並んで突撃する戦法で撃ち漏らされた艇が1隻でも2隻でも何とか突破して体当たりをすると言う悲壮な戦法でした。

青江三奈さんの軍歌は最高です。
泣けます。
飛行機は陸軍航空隊の九九式襲撃機です。

軍刀が長いです。

鶴田浩二さんの『散る桜、残る桜も散る桜』のYouTubeビデオに出ていた映像です。
フィリピンのマバラカットから出撃した神風特別攻撃隊敷島隊の人たちです。

♫散る桜、残る桜も散る桜〜
所詮短い命じゃないか
散ってしまえば皆同じ
風の〜来ぬ間に〜
咲け〜よ、咲〜け〜

って言う鶴田浩二さんの歌に涙が溢れて泣けて来ます。

(この人たち、どんな気持ちだったんだろうな)って思ったら涙が出て来るんです。

日清戦争、日露戦争の時みたいに兵隊同士が戦場で戦って勝つにしろ負けるにしろ停戦にして講話条約を結ぶと言うのが日本人の考える戦争だったと思うんですけど相手は有色人種をジェノサイドで皆殺しにする好戦人種で人種差別主義者の国だった訳です。

アメリカ人が日本人を皆殺しにする積もりだと言う事に日本人も気が付いたから日本は特攻隊を出撃させたりして必死に抵抗したんです。
アメリカ人が残虐な人種じゃなかったら特攻隊は生まれなかったはずだと僕は思います。

「スペインでマスク着用義務が終了したそうです」
そう言うニュースは僕は嫌な感じです。
みんながいつまでもマスクをして欲しいんです。

「こちらスペインです、町の様子はマスクをしない人とマスクをまだしてる人と半々くらいです...」

スペイン人のおばさんがマスクをしてないです。
スペイン国王のフェリペ6世はマスクをしていたのにコロナに感染したんですけどそれにも関わらずスペインはシグナルグリーンにしたんです。
(まだマスクをみんなしろよ)って思いました。