大丈夫だよ、みんな頑張ってるから。
みんながきっと助けてくれる。
そう言ってくれる人がいました。
その言葉を、聞いて、
見て、不安なのは
私だけじゃなくて
みんながそうなんだと
気付きました。
ありがとうごさいます。
頑張ります。
マグニチュード9.0
福島では震度6弱の地震が起きたあの日。
テレビから鳴り響いた
警報の音と同時に、
食器が次々と割れました。
壁には亀裂がはいり、
クローゼットからは
CDが落ちては割れました。
家中のあらゆるものが、
大きな音を立てながら
落ちました。
四年前に亡くなった
母の遺影も倒れて、
外からは子供の泣く声が
しました。
とても長い間
揺れていたと思います。
テレビが、台から転げ
落ちてきた時あたりから、
呼吸が出来なくなり
全身が痺れて動けなく
なりました。
凄いパニックで、
意識が飛ぶほどでした。
人生ではじめて走馬灯の
ようなものを見ました。
本当に、それ位、
呼吸ができなかったんです。
とても怖かったです。
ようやく落ち着いた時、
目に入ったのは水浸しの
廊下と、物が散乱している
部屋でした。
パニックのまま、
やっとのことで
財布と携帯を持って、
外に出ました。
柱は折れ、階段には
ひびが入り、天井の
一部が落ちていました。
なんといったらいいのか、
あの時は頭が混乱していて
記憶がぼんやりしています。
どうしようもない、
喪失感に、ただじっと
するしかありませんでした。
それから、4日間、
石川県に避難していました。
父、姉を残して行くのは
正直辛かったです。
今日、ようやく帰ってきました。
どこからが境目なのか、
突然ガソリンスタンドや
コンビニの閉鎖が目立ち、
石川に居たときの安心感は
現実へと引き戻されました。
何もない。
そんな感じでした。
水や、米、牛乳…その外、
食料品は勿論あらゆる
ものが売り切れ。
普通の生活に戻りたい、
その思いがこみ上げてきました。
何も恐れず、普通に外に
出て普通に生活したい。
余震も続いているし、
別の地震も起きています。
原発は、何とか頑張って
下さってるみたいだけれど、
人間には直せない事や、
治せない傷があることを
痛感しながら今も不安の中
過ごしています。
まだまだです。
まだまだ、不安は
続いています。
復旧作業も、完全は程遠いです。
それでも、頑張って
生きてるんですよね。
踏ん張ってるんですよね。
もう少し、頑張ってみます。
連絡の取れない、
いわき市の先輩、ただ
無事であることを心から
祈っています。
手掛かりがなくて、
探しに行けないことが
残念です。どうか、
生きていますように。