高知・龍馬をゆく①ー坂本龍馬記念館 | 京都案内人のブログ

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桂浜沖のオーシャン・ビュー

 

 

 

 

高知の夜を満喫した翌朝、

 

MY遊バスで坂本龍馬記念館と

 

桂浜へ行った。

 

 

 

 

高知県立坂本龍馬記念館

 

 

 

 

私の相棒も、ぜひ訪れたかった

 

坂本龍馬記念館。

 

 

 

新館は2018年(平成30)にオープン

 

 

 

相棒の実家に、祖父が持っていた

 

有田焼の坂本龍馬立像が残されて

 

おり、それが本物かどうかを実際

 

に確かめたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

到着すると早速、本館の展示室へ

 

ショウケースに入った白磁の龍馬

 

立像を見て、相棒は確信した。

 

 

 

 

坂本龍馬立像(有田焼)

第12代酒井田柿右衛門・作(昭和7年)。13体を焼いて、天皇への献上と坂本家へ贈呈された。

 

 

 

実家の龍馬は立像紛れもなく、

 

12代酒井田柿右衛門の作品だった。

 

 

 

 

龍馬の借用書

坂本家の領知だった柴巻村の管理人・田中良助宛の借用書。

 

一つ 金二両。

これは私が讃岐へ

参ります時に、金が入り用になって借用

したものでございます。返済は

ことしの暮れまでに、一割五分

の利子を添えて、元利とも必ず

完済いたします。

借金のこと、以上のとおりです。

文久元年十月十四日

坂本龍馬

良介殿

 

1861年(文久元)、龍馬は武市半平太の密命を受けて萩の久坂玄瑞に手紙を届けるたびに出た。その際、親しかった良助から旅費として2両を借用した。年末には1割5分の利息を付けて返すとあるが、翌年1月末に帰国した龍馬は、3月には脱藩している。

この借用証文は、田中家のふすまの裏張りから発見された。当時の2両と利息を付けても、この証文の価値の方が高い。

 

 

 

本館展示室で龍馬の手紙や借用書

 

アルファベットの掛軸など、龍馬

 

関連史料などを興味深く観覧した

 

 

 

 

龍馬のお守り「父の手紙」

1853年(嘉永6)3月、龍馬は19歳で剣術修行のため15ヶ月の国暇(くにいとま)を得て高知城下を出立して江戸に向かった。その際、父八平が3ヶ条の心得書を渡した。

龍馬はこの心得書を丁寧に紙で包み、「守」と上書きして常に懐へ入れて大切にしていたという。

 

1.片時も忠孝を忘れず、修行第一の事「修業に励め」

2.諸道具に心を奪われ、お金を費やしてはいけない「無駄遣いするな」

3.女の人の事ばかり考えて国家の大事を忘れ、

心得違いがあってはならない「女性に溺れて国家の大事を忘れるな」

右三箇条を胸に刻んで修行を積み、めでたく

土佐へ帰国することだけを考えなさい。以上。

嘉永6年3月吉日 老父

 

龍馬殿