塩見縄手通の武家屋敷 | 京都案内人のブログ

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塩見縄手通のくぐり松

 

 

 

 

小泉八雲旧居跡から少し東へ歩く

 

と保存されている武家屋敷がある。

 

 

 

 

 

 

 

この通りは当時は武家屋敷が並ん

 

でいたが、現在はこの屋敷だけが

 

残され、一般公開されている。

 

 

 

 

塩見縄手通と武家屋敷:

武家屋敷の前の塩見縄手通は、松江城主の堀尾吉晴が1607年(慶長12年)から4年かけて造成した城下町の通り。塩見縄手の縄手とは、縄のように一筋にのびた道路のことをいう。塩見の名は、この武家屋敷を一時拝領していた塩見小兵衛がのちに異例の栄進をしたため、それをたたえてこの通りを塩見縄手と呼ぶようになった。

 

 

 

武家屋敷の主屋

 

 

 

500~1,000石程度の藩士が、屋敷

 

替えによって入れ替わり住んでいた。

 

 

 

長屋門の中間部屋

長屋門は、武家屋敷の特徴のひとつで、門番や中間(武家奉公人)の住居として使われた。中間は上級、中級武士に仕えて屋敷に出入する人の監視や案内などの雑務に当たり、各部屋の物見窓からは塩見縄手通を望むことができ、屋敷の防備のひとつになっている。

 

 

 

主屋、長屋門・塀などからなり、

 

江戸期の面影を今に伝えている。

 

 

 

 

中間の部屋

 

 

 

現在の主屋は保存修理され、当時の

 

屋敷を復元したもの。

 

 

 

式台玄関

 

 

 

表側の式台玄関から座敷に至る

 

部屋と、裏にあたる私生活の部屋

 

とでは造りも材料も区別された。

 

 

 

座敷・庭から

 

座敷

 

 

 

武士の公私を別にする厳しさが

 

伝わる。

 

 

 

 

主人の部屋

 

奥方の居間

 

居間と奥方の居間

 

 

 

 

また庭園も飾りを省いた素朴な造

 

りで、質実剛健の気風が伺われる

 

 

 

 

表庭