ラフカディオ・ハーン記念館と旧居跡を訪ねる | 京都案内人のブログ

京都案内人のブログ

京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

堀川めぐり船中から見る塩見縄手通

 

 

 

 

松江城の天守を見学後、予約して

 

おいた堀川めぐりをした。

 

大手前広場の乗船場からふれあい

 

広場で一旦船を降りた。

 

 

 

 

塩見縄手通

 

 

 

松江の城下町の面影を残す、塩見

 

縄手に行くためで、小泉八雲記念

 

館と旧居跡を訪ねた。

 

 

 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)記念館

 

 

 

松江といえば、小泉八雲が滞在し

 

たことでも知られ、ここも一度は

 

行ってみたいと思っていた。

 

 

 

小泉八雲記念館入口

 

 

 

館内は1階の展示室以外は、撮影

 

が禁止だったが、豊富な史料で

 

彼の半生がよく分かる。

 

 

 

 

 

1階展示室

 

小泉八雲記念館

小泉八雲という多面的な作家を知る基本

情報を遺愛品の展示と解説を通して紹介

するとともに、八雲ゆかりの世界各地と

情報共有を行い発信している。

 

 

 

塩見縄手通の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)のブロンズ像

 

 

 

 

記念館のすぐ横に残されている

 

小泉八雲の旧居跡も訪ねた。

 

 

 

 

小泉八雲旧居跡

旧居跡の公開は屋敷の一部で、1891(明治24)年6月、宍道湖岸の借家からこの北堀にある根岸家に転居した。

 

 

旧居の玄関

 

 

 

 

彼は松江で1年3ヶ月暮らしたが

 

そのうちの約5ヶ月をこの家で

 

過ごしたという。

 

 

 

座敷と庭

 

 

 

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)

1850年ギリシャ西部レフカダ島生まれ。2歳の時にアイルランドに移り、その後イギリスとフランスでカトリックの教育を受けた。16歳の時に左目を失明。その後アメリカに移民して赤貧の生活の中、ジャーナリストとして認められる。1890年(明治23)、興味を抱いていた日本の土を踏む。松江の尋常中学校の英語教師などを経て、1896年(明治29)に帝国大学で英文学の講師となる。同年に小泉セツと結婚し、日本に帰化。三男一女に恵まれる。翻訳・紀行文など約30の著作を遺した。とくに再話文学として「耳なし芳一」や「雪女」などの怪談の著者として知られる。

1904年(明治37)9月26日、心臓発作で54歳の生涯を閉じた。

 

 

 

 

 

 

小ぢんまりとしているが、3方に

 

庭があり落ち着いた佇まいだった

 

 

 

居間に残されている八雲が執筆などで使った机と椅子

 

居間

 

 

 

八雲がたいそう気に入ったという

 

この旧居と庭は、当時のまま保存

 

されており、国指定の史跡になっ

 

ている。