鷹山の松木のキジ
後祭の巡行も後続の6基となると
少し寂しさもおぼえてくる。
7番・黒主山:
黒主山は謡曲・志賀に歌われている平安時代の歌人で、
六歌仙の一人である大伴黒主に由来する。
8番・役行者山:
修験道の開祖である役行者・小角が一言主神を使って葛城と
大峰の間に石橋を架けたという故事に由来している。
9番の鈴鹿山が見えると、すぐ後ろ
の鷹山も近くに見えてくる。
9番・鈴鹿山:
伊勢の鈴鹿山で人々を苦しめた悪鬼を退治した
鈴鹿権現・瀬織津姫命の伝説に由来している。
鷹山は、昨年195年ぶりに巡行に
復帰したやはり人気の山。
10番・鷹山:(くじ取らず)
1826年(文政9年)の激しい夕立によって懸装品を汚損し、
さらに1864年(元治元年)の禁門の変の大火により、
御神体の鷹匠・犬飼・樽負と一部の懸装品を残して焼失した。
以来、190年以上山鉾巡行が途絶えていた。
音頭取、囃子方(御神体も見える)
宵山では午後3時頃に粽は完売。
(私は前日の午前中に授与されていた)
あちこちで、「もう売れきれ」の
声が漏れ聞こえていた。
この鷹山の松木にもキジが
止まっている。
松木のキジ
御神体は鷹匠(鷹遣)なので、
このキジを狩ろうとする場面を
演出している。
また鷹山の御神体は、34基の
山鉾の中で唯一粽を持っているの
も珍しい。
御神体・左から鷹遣・樽追・犬遣
(中央の樽追が粽を持っている)
最終回につづく