堺町御門は丸太町通(堺町通)に面した南の唯一の御門で、
幕末の動乱の舞台となったところでもある。
維新前夜の八月十八日の政変※1と呼ばれるクーデターで、
尊王攘夷派の公卿七人※2が堺町御門から
京を落ちて長州へ向かったことで知られる。
※1・1863年8月18日(文久3)、尊王攘夷派の公卿と長州藩が
公武合体派の会津や薩摩との政争に敗れて京都を追われた政変。
※2・七卿落ち:三条実美・三条西季知・四条隆謌・東久世通禧
・壬生基修・錦小路頼徳・澤宣嘉の7人が長州に亡命した
堺町御門の内側(七卿落ちの説明板が設置されている)
堺町御門を入って真正面に鷹司邸跡があり、
禁門の変で敗れた長州の久坂玄瑞が自刃した場所でもある。
鷹司家邸跡(中央の松林がかつて鷹司家の邸があったところ)
鷹司家(たかつかさけ):藤原氏五摂家のひとつで関白や太政大臣など
の任に就く家柄だった。
またこの場所には、春の先駆けの梅で知られる
黒木の梅があり、毎年真っ赤に咲き誇る。
黒木の梅:
もとは九条家跡にあったものをこの地に移植されたが枯れてしまい、
現在は接木によって植継ぎされたもの。里桜の一種、大輪の八重桜で
厚くて多くの花を咲かせる。
鷹司邸跡の左右(東西)には2つの大通があり、
西の通りの突き当たりが京都御所の建礼門になる。
中央左に建礼門が小さく見える
またこのすぐ南側には九条邸跡とその池があり、
色々な水鳥やカワセミが姿を見せる。
九条池と高倉橋と厳島神社
九条池で泳ぐマガモの団体さん