京都の秋をゆくー金戒光明寺方丈庭園の紅葉 | 京都案内人のブログ

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京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

 

 

 

 

大方丈の枯山水庭園から襖絵を鑑賞しながら

 

廊下を進むと、東の紫雲の庭が目の前に広がる。

 

この庭園は「紫雲の庭」と名付けられ、

 

法然上人の生涯と浄土宗の広がりを表現している。

 

 

 

 

方丈庭園「紫雲の庭」

 

 

 

 

白川砂と杉苔を敷き詰めたなかに、法然上人と

 

上人を取り巻く人物を大小の石で象徴している。

 

 

 

 

幼少時代の美作の国(岡山県)

灯籠前の左の石が父の漆間時国、左が母の秦氏(一族の名)、中央の小さな

石が勢至丸(法然上人の幼名)。手前の大き目の石は、母方の叔父であり

師でもある観覚(菩提寺の住職)で、その後ろの石が出家した

勢至丸(9歳~15歳)を表している。

 

 

 

 

庭園の右側にある苔島は、

 

法然上人の「幼少時代の美作の国(岡山県)」、

 

左の苔島は、「比叡山延暦寺の修業時代」、

 

 

 

 

比叡山延暦寺の修業時代

写真の石の左から順に、師である源光(比叡山西塔北谷の学僧)

ついで皇円阿闍梨(勢至丸に大乗戒を授けた名僧)、修行中の勢至丸、

僧となった勢至丸が弟子入りした叡空、叡空のもとで修行を積み、

源空と改名した勢至丸。

※この島の向こうにある小さな苔山は比叡山の上り口の「坂本」を

その奥の池が琵琶湖を表している。

 

 

 

 

そして中央が「浄土宗の開宗と金戒光明寺の興隆」

 

の三つの部分に分けて作庭されている。

 

 

 

浄土宗の開宗と金戒光明寺の興隆

苔島から離れた左の小さな石は紫雲石で、中央の背の高い石が法然上人

を象徴している。その手前左から熊谷直実(法然の弟子)

湛空上人(当山3世)、信空上人(当山後2世)、源智上人(当山前2世)

恵が上人(当山5世)、運空上人(当山8世)、松の影で見えにくいが、

熊谷直実の後方の小さな石が法然の庇護者でもあった関白九条兼実を、

最後が後ろの松は翔鶴の松と呼び、浄土宗が大きく羽ばたき発展して

いく姿を現している。

 

 

 

 

 

 

 

この庭の奥には2軒の茶室があり、内部も公開されている。

 

 

 

 

茶室「紫雲亭」と「花峯庵」(右)

 

「紫雲亭」

 

 

 

「花峯庵」

 

 

 

 

 

紫雲の庭を観た後は、山裾に造られた北庭を歩く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池と中島を中心とした北庭は、自然の山林を取り入れた

 

散策路が造られていて、晩秋の清々しい空気に包まれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

池の周囲の小径を巡ると、山林の所々にある紅葉の

 

グラデーションが緑に映えて格別だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人の手が入っているとは思えない森の中で、

 

たっぷりと晩秋の雰囲気に浸った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見事な庭園の紅葉を味わって、最後は山門を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山門の楼上内部と眺望を楽しみにしていたが、

 

残念ながら内部はもとより、眺望の撮影も禁止だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

回廊の欄干が低く、撮影に夢中になり、危険なためのようだ。

 

天井の蟠竜図、釈迦三尊像と十六羅漢像を拝み、

 

眺望を目に焼き付けて下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

楼上からの眺望に近い山上の三重塔から…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真も多く、付き合っていただいた皆さま、お疲れ様でした。

 

 

 

 

 

 

最後に、気の遠くなる、おまけ

 

五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏

 

(金戒光明寺墓地への石段横に鎮座)

 

普通の阿弥陀様と違い螺髪が被さるように非常に大きな

髪型が特徴の阿弥陀仏のこと。

一劫はおよそ160kmの大岩に天女が3年にいちど舞い降りて

羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの時間とされる。

五劫はその5倍となり、まさに気の遠くなるような無限の時間、

思惟をめぐらせて修行された結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪

を積み重ねた頭になった仏様。

 

一日でも早く禍が退散しますように…南無阿弥陀仏…