「GION H」の人々 | 京都案内人のブログ

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「GION H」ではさまざまな人たちと出会った。でも、この人たちの名前すら知らなかったし、お互いプラベートには一切触れないことが暗黙の了解だった。



 2・3日して再び「GION H」へ入ると、一人の若い娘さんがいた。美人とまでいかないが、笑顔が素敵な非常に愛嬌のある娘さんで、京美(僕らの世代はこう呼んでいた・京都市立芸術大学)の画学生だった。


 この子が、以外と能天気で、マスターの名字をHAGIとOGIと勘違いしていた。だいたいお店の名前が「HAGI」なのだから、間違える筈がないと思ったが…。また、客に奢ってもらう酒が入ると、滑舌が急に悪くなってタメグチとなる。ただ、客はそれが見たくてやってくる人も多かった。


 初めて行った時は、春休みで田舎に帰っていたらしい。私がデザイナーということで、何か親近感がありアートに関することや色々な話しに会話がはずんだ。当時、4回生だったので卒業後はどうするのか訊ねると、何も考えていないという。1年後に卒業した彼女は、田舎に帰って行った。


 ところが、その1年後に彼女は再び「GION H」でのバイトを始めた。故郷の父親の許しをもらって、京美の専攻科に入学したというのだ。その後も2年間ほど「GION H」にいたが、ある日ふらっと田舎へ帰ったと、マスターが私に云った。




           


 ところが、ところがだ。また1年が経った頃、お店にいたのだ。本人によれば、再度、芸大を受験したそうだ。しかし、不合格となってまた来年挑戦すると云い、両親も許してくれているという。私はあきれて、田舎の両親はどんな人だと思った。

 しかし、来年を待たずして彼女は田舎へ帰ったという。両親からお見合いの話があったらしいが、それきり彼女とは一度も会ったことはない。