大徳寺の千体地蔵塚 | 京都案内人のブログ

京都案内人のブログ

京都散策ー四季の風情や町並み、名所、歴史、人物を訊ねる。たまに言いたい放題。

大徳寺
京都市北区紫野大徳寺町53

大徳寺参道

 鎌倉時代の終わりの頃、宗峰上人(大澄国師)がこの地に小庵を結んで大徳と名付けたのに始まる。しだいに上人の学徳が知られるようになり、花園天皇、後醍醐天皇の帰依を受けて勅願所となる。その後の1326年(嘉暦元)、法堂が完成して龍宝山大徳寺と命名された。
 その後、応仁の乱で伽藍のほとんどが灰塵と化したが、一休禅師によって復興された。



平康頼の石塔  地蔵像
平康頼の石塔(地蔵宝塔仏)
平康頼は、平家打倒を密謀したと云われる鹿ヶ谷事件の首謀者の一人として、俊寛らと鬼界ヶ島に流罪となった。





千体地蔵塚
実際は700体ほどで、石仏の多は室町から江戸時代にかけて造られたものだという。

千体地蔵-全景

千体地蔵-アップ

千体地蔵-1

千体地蔵-2

千体地蔵-4

千体地蔵-3