ミュンヘンの美術館にはリーメンシュナイダーの聖セバスティアン像があった。この像についても、2021年のブログで触れている。マリア礼拝堂のアダムと同系統の顔。リーメンシュナイダーの若い男性の顔の一つのパターンである。


そして、ほぼ裸体の男性の表現もリーメンシュナイダーには少ない。本で慣れ親しんでいた作品だが、実際に見るとまたしても「あれ、イメージと違う?」。その一つは色。

図版と比べると色が塗り直されているようで、とても鮮やかでむらなくきれい。私のイメージは、本の図版どおりの色褪せたものなので、少しの違和感を感じる。

 彫刻家が作成した頃はこういうふうにむらなくきれいだったのだろうと思いながら、やはりイメージを修正するのは難しい。目の前の彫像のありのままを見ることはそう簡単にはいかない。

 『Tilman Riemenschneider Die werke im Bayerischen Nationalmuseum 』(2017)の解説の助けを借りながら見てみよう。


高さ149cmとほぼ等身大なのだが、なぜか小さく見えるのは、細身のためか。1505年ごろの作品。1912年にバンベルクの近くのミューレンドルフの教会から入手した。おそらく1811年より以前に近くのバンベルクから入手した。

 ここでバンベルクというよく知った地名が出てくる。リーメンシュナイダー制作の皇帝皇妃の墓標がバンベルク大聖堂にある。その街に彼の他の作品があっても不思議はない。

 金色のコートが人物の背面にあるのは、リーメンシュナイダーの人物像にしばしばあること。このコートと腰布には彫刻家の芸術的なドレープの技が大いに発揮されている。裸体の描写はゴシック的なもの。四肢が大きく胸が細くウエストが高い。

違和感の二つ目は裸体の描写である。この裸体の描写を見ると、解剖学的な正確さとはほど遠い。身体は明らかにパターンに沿ったもので、人間の内臓や筋肉はこの肉体の骨格の中には収まらないだろうと思う。ミケランジェロのダヴィデだって現実の肉体からはほど遠い理想的な肉体だが、どこかにこういう肉体があるかもしれないと思える。足は、胴体に比べると違和感は少ないが、この細い太ももでは身体は支えられそうにない。画像で見た時にはあまり感じなかった違和感が、実際に対面すると増加する。

 右手は頭の上まで高く掲げられ黄金のコートを掴む左手までゆるやかならせんを描いているようだ。その流れに右から楔を打ち込むように右足の膝下のふくらはぎが斜めに支えている。それはリアルではなく、リーメンシュナイダーが立像を造形する時のひとつのパターンなのだろう。


 リーメンシュナイダーは幾つも聖セバスティアン像を作っていて、中でもこの作品は最良のものとカタログに記されている。

そうなのだろうが、作品としてみてしまうとパターンを目についてしまう。


 この聖セバスティアン像は教会の改修計画のために、1912年に美術館に売却されたとのことである。バンベルクから流れ流れて、ミュンヘンの地に落ち着いたのは金銭的価値のためであったか。教会の改修と作品の保存のためには最上の選択なのだろうと思うが、本来の祭壇で見たらどんな印象を与えるのか? カタログには、似たようなセバスティアン像が祭壇に納められた画像もあったのでなんとなく想像はできるが、ローテンブルクやクレクリンゲンの教会で感じたような強烈な感動を想像するのは難しい。改めて、祭壇の一部であった像を単体で見ることの限界を感じた。

 聖セバスティアンは当時ペストに対する守護聖人として尊ばれた。セバスティアンはペストへのお守りのようなものでもあったらしい。疫病=感染症に対するお守りなら、最近私たちも経験したものである。弘化3(1864)年 4月中旬に熊本県で毎晩海が光るので行ってみるとアマビエが出てきた。

 「流り病があったら私の写し絵を見せよ」と予言して海に消えた話が残っていて、そこから一時アマビエ大ブームとなった。今では忘れ去られているようだが。病に対する人間の心性は案外変わらないものだ。
 ペストは幾たびも大流行を重ね、セバスティアンの需要は大きかったのだろう。アマビエもまた復活するのか。アマビエをリアルでないと非難する滑稽さを思えば、この像の意味も芸術作品としてだけ見る見方の限界は露わになる。しかし質の高い作品として見られることも、彫刻家は意識していたに違いない。