河原温の『ブリュージュ フランドルの輝ける宝石』第6章にピーテル・プルビュスの事が3ページほど書かれていたので,少しまとめてみようと思う。

 

 その前に15世紀のブリュージュの初期フランドル派の画家たちについて名前と生年,没年を述べる。最初にして同時に頂点に立つヤン・ファン・エイク(1386ごろ~1441) 。以下,ペトルス・クリストゥス(1420~75/76),ハンス・メムリンク(1440ごろ~1494),ヘラール・ダヴィッド(1460ごろ~1523)といったところ。

 

このダヴィッドの衣鉢を継ぐのがプルビュス。生まれは北部のハウダ(Gouda),少年時代にブリュージュに移った。20歳の時,ブリュ―ジュの画家組合に登録、61歳で亡くなるまでブリュージュで暮らした。彼は地図製作家、建築家,グラフィックデザイナーでもあった。「オランダの美術評論家カレル・ファン・マンデルの『画家の書』(1604)によれば,『彼(プルビュス)の工房ほど素晴らしい設備を持った画家の工房を私は見たことがない』とこの画家のブリュージュのアトリエが称えられている。」(p191)スペイン皇太子フェリーペのブリュージュの「入市式」の歓迎装飾のプロデュースも依頼されたとのこと。

 画家としては,肖像画に才能を発揮した。代表作は前にブログに書いた「ヤン・ファン・アイヴェルとその妻ジャックミーヌ・ブック」。

「ブルージュの都市風景,クレーン」

https://ameblo.jp/25juqrdlo/entry-12613950786.html

 

河原氏によれば,「ブリュージュのクレーンと街の風景を窓の外に描きながら,室内の背後の壁には両家の紋章を示し,黒と赤の高価なベルベットの服をまとったブリュージュの都市エリートの社会的ステータスが,洗練された筆致で描きだされている。」「同時代のアントウェルペンにおけるブリューゲルの活動と並んで,プルビュスはまさしく世俗世界の写実的風景(人物)を写し取る達人」という評価。息子や孫も著名な肖像画家となるが,彼らはアントウェルペン,ブリュッセルからマントヴァなどヨーロッパ各地の宮廷へと活動の場を移したという。

 

 洗練されたエリートの肖像とその街の写実的描写。この二人の顔とスタイル,改めてよく見ると,“カッコイイ”し,そのことを十分に承知していますという自負が感じられる。見下ろす視線。

    

 目の前の人物を見据えて描いた作品は素晴らしいが,どうも彼は,《最後の晩餐》や《最後の審判》のような宗教的画題にはあまりそぐわなかったのかもしれない。レオナルドやミケランジェロの作品を意識していたと思うが,何かが違ってしまう。