前回の予告どおり、「幻聴を四期に分けて考える』についてふれてみたいとおもいます。(P34〜36)
前回で、中井先生が四期に分けた幻聴について、ご紹介させて頂きましたが、中井先生のこの項の「薬で消せばいいというものではない」の項にかいていた言葉を考えてみたいと思い、前回で一度切っています。
その言葉なのですが、いわゆるその人の病気の理解度についての「病識」という言葉についてです。
『「自分は統合失調症患者である。」「自分が聞いている声は幻聴である。」これは病識なんかじゃないと私は思います。強いて言えば「精神医学に降参しています、帰順しています」という意味でしょう。』
…初め読んだ時「どういうこと??」とちょっと混乱してしまいました。一般的には、
「自分は統合失調症患者である。」
「自分が聞いている声は幻聴である。」
と言われると「病気がわかってる」として、医師や看護師、その他支援する立場の人は理解するかと思います。
…が、そこが…というか、その態度が、
「精神医学に降参しています、帰順しています」
に繋がってくるのではないかな?
と思ったのが、前回のブログにもあげた、中井先生が患者さんに
『幻聴』
ではなく
『幻聴というもの』
と、患者さんへ精神医学用語を言い直していることが、その思いにあるのではないかな?と考えました。
この項では、文章の出方が前後しますが、中井先生の根本的な考えとして、
『病理中心で相手を見るのはいけません。
健康な日常生活を中心にしなければ』
と書かれています。
なので「健康な日常生活」から見て、
『苦しいところを通り抜けてきた。いまと違う。あれは病気だったんだ』
というのが病識と中井先生は書いておられます。
また、
『人間の自己規定が「自分は統合失調症である」であったら救いがありません。』
と言われてますが、以前も別のブログで書きましたが、日本だけ?が、自己紹介に「統合失調症の〇〇です」と言われることが多いと言われています。
患者さんがそう言ってしまわれるのをそのままにせず、支援する立場にある我々は、
『健康なところもいっぱいある』
ことを伝えていく大切さを中井先生はこの本でもそうですが、ところどころに伝えておられるなぁといつも感じております