前回に引き続き、『幻聴を四期にわけて考える』にふれてみたいと思います。


幻聴の四期の中の最初、

『頭の中が騒がしい』

時期についてです。


発病前の幻聴なので、入院されている方にはみられず、中井先生は

『亡霊のざわめき』

とよんでおられるそうです。

ウィトゲンシュタインというドイツの哲学者さんが、ある手紙にそのようなことをかいて、先生に送っておられたようです。


またこの発病の時期のようすについて、中井先生は、ある患者さんの体験談で、


『水道の蛇口から細く水を垂らしているのを見たことがあるでしょう?よく見るとまっすぐ垂れてるかと思ったら、ときどきねじれてまた垂れるでしょう。これと同じで「ざわめきがときどき声になってまた戻る」』


と『頭の中の騒がしさ』について、話されたそうですびっくり


このような時に患者さんの頭の中では、

『考えが花火のように次々に無限に分布していく』

『無限に延長していく』

ようです…


そして、

『どんどん考えが伸びていって、コントロールが効かなくなって、最後は混沌としたざわめきになる』


…ただその直後に数時間あるいは数日、シーンとするときがあるようですショボーン


正直、この説明をよんで、こういった悩みを打ち明けられたら、『気のせいじゃない?』『様子みてみたら??』と言ってしまいそうです。


ただこの時期は

『何もたべなくても良いと感じた』

ように、死なないという不死感があったり、

『死との境もひとまたぎでこえられるくらい近くに見える』

…といったように、自死のリスクのはらんでいるようです。


私も振り返ってみると、こういう時期がありました。母の病気がきっかけかもしれませんが、『死との境もひとまたぎでこえられるくらい近くに見える』と『亡霊のざわめき』という説明がとてもしっくりきます。

水道の話も…「ねじれてる時間帯」はずーっと『亡霊のざわめき』しか聞こえてこなかったんで、しんどい…というより、正気を取り戻すためにペンで手のひら刺しながら泣いてたのを思いだしました。

もう四半世紀以上前のことですが、ずっと死のことばかり考えてましたね…


なかなか辛い高校三年の時期でしたし、なかなかそういったことを話せる状況でもなく、ただこういう話しを聞いてくれる人をずっと望んでたのを思い出しました…