前回に引き続き「霧の中の英国経験論」についてふれてみたいと思います。
それぞれの国にそれぞれの文化背景からくる人柄とでもいうようなことについて、中井先生が英国での経験から
『それぞれの文化が、どういう条件をみたしていたら「同じ人類」とみなすかに興味をもち、それとなく観察し、時には実験してみた。』(P246)
そうです
イギリス人は、
『困ってる人への察しのよさ」』(P246)
のようで、中井先生が「障害者を助けて、そっと立ち去った』(P235)ことから、英国の方が急に話しかけてこられたようです。
インドネシア人は
『友情』
だそうです。
だけどこの友情は、
『国家試験の前日に友人が訪ねてきても、勉強よりも友情を優先させなければならない』(P247)
…これはキツい
中国人はというと
『漢字を知ってる人間』(P248)
が必要条件で、十分条件はというと
『詩を書く』
こと、いわゆる「漢詩」ですかね…
フランス人ドイツ人は、
『ラテン語、あるいはギリシャ語を一部でも使用すると、態度が変わる』(P248)
そうです。
あくまで中井先生の実験なのかもしれませんし、これが1994年に書いておられる記事のため、私も実際にはどうか、というのはわかりません。
ただロシア人について、
『言葉以前のもの、きっと合唱ではないかと思う。「ハモる」ことができるならば、ほとんど一切の中間段階抜きでロシア人と通じ合えるのではないか。』(P247)
と中井先生は書いておられました。
合唱が平和をよんでくれたらいいのに…
そんな簡単なことではないとは重々承知してますが、必ず通じ合える日がくるのを信じたいし、もっと違う方法での国家間の交流ができればと、中井先生の文章をよんで思いました。