今回は、ちくま学芸文庫『精神科医がものを書くとき』より、「ストレスをこなすこと」について、触れてみたいと思います。
最後に中井先生が書いておられますが、この項は中井先生が働く人に是非告げたいこととして書いておられるようです。
とは言え私自身、現在退院はしましたが自宅療養中です。ほぼ3週間くらい職場から離れてると、だんだん働きたくなくなってる自分がいます
そんな自分ですが、今回は中井先生の文章を読みながら、自分のことを振り返ってみたいと思います。
まず『ストレス解消法』についてですが、中井先生は「楽しみ」と区別する必要があると言われています。
楽しみ
→「満足」が生じ、満足が増大するにつれてその行為は自然にやむ。
ストレス解消法
→「不満足」「不快」を減らそうとするもの。
私自身、サッカーが好きで、よくJリーグを見に行ってます。
もちろん相手がいることなので、ひいきのチームが勝つ時は気分よく帰れるのですが、負けるとその帰りの道中だけでなく、翌日に気持ちを引きずってる自分がいたことを思いだします。
『ストレス解消法』として、観戦に行ってましたが、コロナ禍が転機だったようにおもいます。
思うように観戦にいくことができなくなった経験から、「サッカーが平和に見れる幸せ」を感じるようになりました。
また何がきっかけか忘れましたが、贔屓のチームが勝っても負けても、『自分の生活には全く変わりはない』という意識になりました。
そして観戦自身が『楽しみ』に変わり、サッカーが見れたという「満足」で終わるようになりました。
あとマラソンもそうだったかもしれません。
大会にでるためにそれなりに仕事終わったあとも走ったり、タイム向上や仲間作りのために練習会に参加したりとその時はその時で楽しかったです。
ただいつの頃からか、走れない日に焦りを感じたり、『ストレス解消法』として、仕事で嫌なことがあった時に走ってました。
これもコロナが転機だったかもしれません。
100キロのウルトラマラソンも完走できた満足感もありましたが、コロナ前の2019年の大阪マラソンでの転倒や、その後の気管支喘息など、身体も悲鳴をあげていたと思います。
走ることがいつの間にか「ストレス」になってたことに気づきました。
中井先生は、
『すべて「ストレス解消法」は「可愛らしい程度」にとどめるのが賢明でしょう』
と書いておられます。
自分のストレス解消法も、良くも悪くもだいぶ他者を巻き込んでいたんじゃないかな、と振り返って思います
『人間の身にはストレス解消法が自然に備わっています。』
と中井先生は書かれています。
次のブログ以降でその自然なストレス解消法について触れてみたいと思います。