前回に引き続き、『統合失調症者の言語』について、考えてみたいと思います。
前回の終わりに
『話の継ぎ穂』
という相手と話し手をつなぐような言葉の機能についての話しを書かせて頂きました。
中井先生はこのように記されています。
『言語の一見どうでもよい後末が、こういう働きをしていることに、私は早くから気づいていた』
中井先生の書かれた例で表すと、
『「そこでです、実はですね、私はですね、昨日ですね…」
こう書けば、しどろもどろになりつつ、必死にことばを継ごうとしているさまが想像されよう。』
上記の太字部分をぬけば、すっきり意味も通るはずですが、この太字部分があるかないかでは、全然印象が変わってくるように思いませんか?
また中井先生はこのことばの継ぎ穂機能を
『次の行動なり返事なり文章なりを引き出していくオペレーター(演算子)と考えると良い。』
と説明されています。
よく「おうむ返し」と呼ばれる、同じ言葉を反復して話す方がいらっしゃったり、相談支援の中でも相手が話したことばをそのままことばにして、気づいてもらう等を技法があります。
同じことばの反復として、これを『継ぎ穂』として考えてみると、必ず『継ぎ穂』には強弱などのトーンがあり、また共感的トーンになると、十分に次の話を引き出す機能を果たすようです
話は変わりますが、私はタレントのタモリさんが大好きで、一時期タモリさんみたいになりたいと思っていた時期がありました。
なぜ好きかというと、上記の内容につながりますが、とても継ぎ穂を使うのがお上手で、相手の話しを引き出すのが上手だからです🕶️
話しは戻ります
では中井先生がなぜ『継ぎ穂』を考えるのに至ったのか、ということについて、次のブログで書かせていただきます。