引き続き、『医療における合意と強制』について、考えて見たいと思います。
前回のブログで、病いとの共存ができている人について、書かせて頂きました。
反対のことを言うと、
『病いとの共存がしにくい人ほど、精神医療に導かれるといってよい』
と中井先生は書かれています。
ここで書かれていたのが、以前どこかのブログに書いたかと思うのですが、中井先生は病状が急に悪化する時に、
『混乱の時期にあっても、患者に通じる言葉は結構あるものである。その語彙が豊富になるにつれて、患者との合意に達する可能性が増大する。』
そして、
『患者との治療についての合意に向けて、最大限度の努力が要求されるならば、現在よりも歩留まりが向上するのはまちがいない。獣医が異種の生物とのコミニケーションに努力し、そして成功している程度の高さは精神科が知れは驚くであろう。医師は人間仲間であるということを、無意識の前提とするために、患者に無理を強いることに慣れている。』
と書かれています。
最近でこそ、急に病状が悪化したとしても、オープンダイアローグという手法をとって、できるだけ本人との対話という方法をとっていたかと思いますが、「無理を強いることに慣れている」と書かれている通り、薬や注射、場合によっては数人がかりでの強制入院ということも私の若いころにはありましたし、おそらくこういう対応の方がいまだに多いかと思います。
そして、中井先生は患者さんのことを
『まさに患者とは、
patientー耐える人ー
なのである』
…病気からの苦痛だけでなく、われわれの対応にも「耐えている」という捉え方…
なんとも言えない気持ちになりました
また精神の病気について、
「痛くない病気」
と表現されていて、なるほど!
と思い、新たな発見でした
続く…