今回は、ちくま学芸文庫「隣の病い」より『外国語が話せるということ』について、触れてみたいと思います。
『外国語がもっとしゃべれたらというのが、日本人のたいていのひそかな悩みであり、夢であるようだ。』
冒頭の文章読んで、わたしもそうだと思ってます。なんとなく思ったのが、生活の中で日本語しか話す機会がないので、これからたくさんの外国人労働者が増えると、話す機会も増えるので、日本人も変わってくるのでしょうかね
ここで気になった、中井先生の
『日本の企業がアメリカに工場を建てた際、日本側はどういう人が「技術移転」の適任者であろうか。』
という問いでした。これに対し、
『英語が米国人なみに流暢だと米国人の発想に立ってしまう。全然できないと、日本人の発想から出られない。英語がそれほどできず、伝えることに情熱を持ち、手真似足真似で何とか伝えようとするのが1番正確で能率のよい「現場での伝達の達人」だそうである。』
そして続けて、
『実は翻訳もそうではないかと思う。翻訳家で会話の下手な人は私のほかにもけっこうおられるようだ。』
と中井先生は書いておられます。
ここで私が気になったのが、
〇英語が米国人なみに流暢だと米国人の発想に立ってしまう。全然できないと、日本人の発想から出られない。
〇実は翻訳もそうではないかと思う。
という二つの文章です。
中井先生のこの後の「翻訳家で会話の下手な人は私のほかにもけっこうおられるようだ。」と皮肉られているように、アメリカの治療文化が日本に入るにあたり、それを翻訳するにあたっての悩みに思われました。
アメリカに寄りすぎていては、日本人に通じない可能性もあるが、日本により過ぎていては、日本人の発想からでられず、技術革新に至らない…
ただ、
〇英語がそれほどできず、伝えることに情熱を持ち、手真似足真似で何とか伝えようとするのが1番正確で能率のよい「現場での伝達の達人」
…大事なことは言葉以外の方法でも、伝わることがあるのでしょうね
ちなみに中井先生はこの後、それにつながるエピソードもありますので、また読んでもらえたら嬉しいです☺️
私からは、気になった文章を若い時からノートにのこしてるのですが、そのノートにJリーグのガンバ大阪の通訳の大谷さんという方のエピソードを残していましたので、それを書かせていただきます。
『例えば、「切り替え」という言葉があるでしょ。それをそのままポルトガル語にしても、ブラジル人選手はわからない、イメージが伝わらない。そういう時は日本語で覚えてもらうんです。攻守の切り替えとか必要な場面で「切り替え!」と日本語で伝える。「切り替え」というプレイの概念を覚えてもらうためです。』